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    2010

07.13

有酸素ブラッシング

以前、電動歯ブラシが壊れた件については記事にしたが、あれから結局の所電動歯ブラシを購入していないままだった。

手動歯磨きで電動歯ブラシと同じクオリティになる事はないだろうか、と頑張ったものの絶対に追い越せない大きな壁が立ちはだかっていた。
頑張れば頑張るほどに手に力が入り雑になる。
朝起きてみると寝る前の爽快感はなく、奥歯の角だけに多少酸味かかったり何かしらの変化が感じられた。

当時はデンターシステマの毛先の細さと柔らかさが最高だと思っていたが、どうもこの歯ブラシでは限界がある事を知った。
歯ブラシの毛先に大きなカールが発生せずとも毛が直線ではない時点でその性能が極端に低下する事に気付いた。
その毛と土台の確度と性能の関係は比例以上であり、二乗や三乗といったレベルに感じられた。
つまり、見た目で明らかにわかるほどに毛先が大きくカールしまった歯ブラシに何の効果も期待出来ないということだ。
直線を保った状態で初めて「歯ブラシ」の存在意義があり、僅かでも反りだしたら買い換える大切さを知った。
実際、デンターシステマも開けたての新品なら爽快感をそれなりにキープ出来ていたが、10日程度経つと顕著な差が出始めるようになった。
そこでもっと硬めで強固なものを探した結果、失礼だが最初は目もくれなかった「ビトイーン」だった。
ビトイーンの「かため」は本当に硬く、ヤスリかタワシかという類のものだった。
こんなものでゴシゴシ頑張ったら歯が壊れると思い、ゆっくりと時間をかけて丁寧に湯葉を磨くようなイメージで磨くようにした。
勿論フロスも行うのだが、次の日が爽やかなままだったのだ。
半月経っても全く衰える気配もなくとても頑張ってくれてる。
少しずつ慣れてくると、テレビやパソコンを観ながらレンジでチンするタイプのご飯の空きパックを用意してそこに唾液を吐き出して磨くようになった。
なぜなら、1時間もかかるからだ。
歯磨きに集中してると時間を短くしようと雑になるので、意識を他に向けながら無意識で磨くようにしてみた。
つまり、家にいる1時間、例えばテレビを見たりなど、そういう時間にただ歯磨きを同時進行する事にしたのだ。
なので、時間が勿体無いとかそういう感覚は一切ない。
むしろ、同時に行えて効率的とさえ思えた。
1時間も磨いていると唾液が凄い量になる。
空きパックの30~50%にまでなる。
1時間唾液は常に出続けている事に副作用はないのか、と気にはなったが栄養をしっかり採っていれば問題はないだろうと考えている。

暫くしてからビトウィーンの「ふつう」を買ってみた。
最初こそ若干硬めだがすぐに馴染みだして一般的な歯ブラシとそう変わりない感じになり使い勝手が良かった。
最初の頃は「かため」で歯茎を刺激するとよく血が出ていたが「ふつう」にしてからはそんな事もなくなった。
今では長時間歯茎を刺激しているせいか歯茎のほとんどがピンク色になり血の味すらなくなった。
もうかれこれ、数ヶ月は電動歯ブラシに近いクオリティまで昇華したような気がする。
寝てから起きた時の口内の違和感は感じられない。
今はほとんどの時間を「ふつう」で磨き、歯の裏側など取りこぼしそうな部分を「かため」で数分仕上げる感じで磨いている。

この長時間の歯磨きを「有酸素ブラッシング」や「有酸素歯磨き」と呼んでいて、とてもオススメだと思う。
まず、歯磨きが「面倒臭い」とか「嫌い」と思わなくなった。
それどころか、多少好感さえ沸いてきた程だった。
しかし、どこか出掛けたりする時などはこういう習慣がとても困る訳だ。
みんな歯磨きなんて3~5分程度で終わらせるため、明らかにどこかで差が生じる。
そういう人間のスケジュールに合わせて行動していると何かしら不都合が起きる。
そもそも短時間のうちに歯や歯茎を傷つけず丁寧に歯垢を落とす事など不可能じゃないのか、と思っている。
デンターシステマを3~5日に1本ずつ交換していけばそれなりの成果は出せるだろうが、それでもあの柔らかさなので目に見えないレベルの劣化が著しく進むのは間違いない。
それに現代風に言わせてもらうと、「エコではない」と思うのだ。
ただ、ビトウィーンのドカチンのおじさんでは、丁寧な仕事は出来ないのでピンポイントでデンターシステマを使う分には良いと思う。
精密機械を作り上げる繊細な職人に解体工事や地面の掘り起こしなどさせればメリットを発揮する前に壊れてしまうだろうし、ぶっきら棒なドカチンに時計を作ってもらう事など期待出来ない。
適材適所が最も効率的だ。

やはり、システマは歯周ポケットを掃除するためだけに利用する事が素晴らしく、歯表面のプラークコントロールには向かない。
また、システマのその極細毛という特性を活かして歯間ブラッシングをする事は適切ではない。
それはフロスの仕事なので彼に任せると良いだろう。
複数の歯ブラシを使い分けてこそ、実りある結果がもたらされると理解している。
まだ試していないが、歯垢に反応して赤く染まるあの薬を塗ってから歯を磨いて完成したときに鏡で見てみたい。
それでもゼロではないにしろ、ほとんどの歯垢が落とせていると信じたいが、果たして現実はどうなのだろうか・・・


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    2010

04.10

怒りは無用だ

物事に対して理論的だが怒りやすいという人は一般的に「真剣」だと思われやすい。
だが、それは間違っていると言っておきたい。

何も考えずに怒りやすい人は「怒りんぼう」とか「短気」などと言われ敬遠されがちだが、シッカリ考えていて理論的だが怒りやすい人は必ずしも先ほど言った人とは同じように見られる事は少ないようだ。
なぜなら「真剣だから」だと思われるからだ。
しかし、それは決して真剣なのではなく、単純に能力が低いからだと言わざるを得ない。
これは俺にも当てはまるが、昔から比べれば驚くべき成長率を誇ってはいるし、周りからそう言われる。

考えた内容というのは「プラン」なのでデータであり、それには「どう行うか」などと言った情報しか存在しない。
何かの製造方法のみを記した設計書やパソコンなどの基盤には感情の情報は一切書かれていない事がわかる。
一方、「プラン」を人に伝える時にはコミュニケーションにより相手に情報を伝えるだろう。
その時の「語り口調」には感情が入りやすいもので、そういった感情の多くは不要なものが多い。
相手を鼓舞するためや士気を上げるための感情表現もあれば、罵倒したり士気を落とす感情表現もある。
多くの場合が後者だ。
感情を制御出来る人間は意外と少ないもので、何度も何度も同じ過ちを繰り返す相手を前に常に平穏でいられる人をほとんど見たことがない。
それは、手間を取らされて面倒だったり、自分の思い通りにならないためだったり、今の自分に余裕が無くなってたりなど理由は様々だろう。
昔、部下などが同じミスの報告をしてきてるのに非常に冷静な態度を取っている人がいたのを衝撃的に覚えていた事があった。
そこで俺が彼に「○○さんて、結構冷静なんだね!」と言うと彼は「怒って直るなら怒るけど、もっとダメになって最悪な結果になるから無駄でしない」といってきた。
凄く賢いと思った。

俺がそういう事に直面したのは、彼女との出会いだった。
喧嘩になると俺は大抵、冷静に話を整理しながら会話を進めるのだが、相手のイラっとする言葉に我慢出来なくなりブチ切れて暴言が止まらなくなる。
「今まで付き合った人も含めてこんな恐ろしい暴言吐いた人も聞いた事も初めて」と物凄く言われていた。
まぁ、原因の多くが高血圧だったという事もあったのは事実だった。
参考「食べ物が性格を形成する
低血圧になるのと同時に、自分がなぜ怒るのか、怒らなければならないのか、その結果何を期待しているのか、を考えていくにしたがって怒る事が現状を更に迷宮にさせてしまう現実を回避するべきだと思うようになり、理論と感情の分離を強く意識するようになった。

総合的にみて、それが明確にプラスとなるなら適度な叱咤もいいだろう。
だが、やはりほとんどの人間が自分の感情を抑えられないだけで、感じたままの感情を言葉に乗せて出力しているだけなのだ。
それを受けた相手の影響が心配だ。
なぜなら、そういう言葉が出る関係というのは「何かを行ってもらう」という関係が多いからだ。
基本的に誰かに迷惑をかけていなければその人の行為について口出しをしてはならない。
これは相手を尊重するという事で基本的な事であるからだ。
誰にも迷惑をかけていなければ何かを言われる筋合いはない。
つまり、目的を遂行してもらいたいと願う時に、そういう言葉が出る訳だ。
多くが仕事である事は言うまでもないが、限りなく多いケースがあるので仕事などとしておこう。
仕事の場合は賃金が発生しているので強い拘束力などがあるが、仕事ではなければそれは相手の意思のみで結びついているため、いかに相手を思い考える事が重要であるかはわかるだろう。
たまに仕事人間が仕事の癖をプライベートに持ち込んでいるシーンをみかけるが、人間としての能力は低いんだなって感じる。

コミュニケーションの簡易図
(データ+感情)

つまり、ここでの「感情」をどう制御するかで相手が感じる印象、更に自分が期待する結果の成功率に影響してくる。
能力不足を棚に上げ感情のままを口にして劣悪な状況に陥るのも、自分の能力向上のための修行をして感情をストレスなく制御して素晴らしい将来を自分で確実に引き寄せるも本人次第である。
「感情」は必ずしも当たり障りないものがベストチョイスではなく、相手に合わせて適切に調節する事が重要であろう。
ちなみにブログのテイストでは信じられないだろうが、ここ数年はマナーが悪いボンクラとブログ以外ではほとんど怒った記憶がない。
人の感情制御は俺が良い例で、努力次第で確実にたった数年で別人レベルにまで変える事が出来る。
積極的に取り組みたい要素の1つだ。


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    2010

04.09

WiiのWebブラウザ機能

任天堂のWiiは専用LANアダプタを使用することでインターネットに接続出来る。

以前、どの程度のWebブラウジング力か試した事があったが非常に重くて話にならなかった記憶があってからは全然使っていなかった。
しかし、パソコンを立ち上げる程じゃないけどネットを見たい時があり、久しぶりに繋いでみた。
以前は回線が込み合っていたのか、今回は思った異常の重さは感じられなかった。
意外だったので印象的だった事を覚えている。
基本的に文字入力はWiiコントローラを使うので入力がメチャクチャ面倒ではある。
ボタンを押すたびにコントローラが微妙にブレて別の文字を入力したりなどハッキリ言ってイライラする。
ソファの腕置きに置きながら安定して入力したりしているが面倒である事には変わりがない。
Wii本体を見てみるとUSBの口が1つ空いているので、USBのキーボードを付けられるんじゃないかと思ったが、余っているキーボードがPS/2だったので、PS/2とUSBの変換アダプタがないとダメか。
そもそも、口さえ合わせれば全てのキーボードが使えるものなのか?という疑問もある。
調べてみると、Wii対応用のソフトウェアが入っていないとダメっぽい。
うはっ、このコテコテぶりがマジハンパねーな!(笑)

しかし、なかなかメリットもある。
それは、youtubeなどの動画を再生する場合だ。
特にパソコンのサウンドカードがオンボだったりスピーカーがショボかったりした場合、音ってかなり劣悪でとても聞けたもんじゃないと思う。
それこそ、奇麗な音が雑音に、普通の音がノイズ音に、汚い音はストレスにしか聞こえないだろう。
それが、だ。
Wiiを使うことで奇麗な音に変わる可能性がある。

LANケーブル → Wii本体のWebブラウザ機能 → 受信データをテレビで表示

この流れで、最終的に画面はテレビサイズ、音はテレビのサウンド能力の恩恵を受けられる。
今の時代、大抵の人は32インチかそれ以上の大画面系のテレビを使っている事だと思う。
クオリティは多少落ちるが大画面で閲覧でき、音はそれなりに良くなるだろう。
テレビが高ければ高いほどにその恩恵が期待出来る。

例えば、youtubeを見てみるとこんな具合になる。
見た目が多少違うようにも思えるが、まぁ問題なくイケた。
wii_browser.jpg

ただ、WiiのWebブラウザにはそれなりに不満も多い。
Webブラウザには「Opera」を採用している。
まず、WiiにおけるWebブラウザの不満点を挙げる。
・右クリック機能がないのでアクションが少なく、またWiiコントローラでアクションボタンを押さなければならないのが凄く面倒
・ドロップダウンリストなどの時の選択肢で十字方向キーが使えないので下の項目を送る場合、全てスクロールバーをクリックしなければならないのでクリックするたびにブレてしまい、ドロップダウンリストが消える、また表示させてクリックしてブレ、非表示になるの繰り返しが想像以上に高濃度ストレスだった
・タブ機能がないので、今のページについてしかアクションが行えない(これはもはや時代遅れ過ぎて悲惨を極めた)
・ニコニコ動画を見ることが出来なかった

あ、もしかしたらヌンチャクつければもう少しアクション数増えたのかな。
ただ、もっとボタン数かボタンへの割り当てを増やす、アクション選択画面などの追加をしてもっとカーソルを動かさずに自由度を増やすように努力して欲しいとは感じた。
Wii対応済みのキーボードとマウスが使えれば何の問題もないのかも知れないのだが、テレビ画面でWebブラウザが表示出来るという選択肢が増えただけでも良しとするべきだろうか。

ついでに通信速度計測もしてみた。
環境としてはマンションで光回線導入している。
時間帯はそこまで混んでいるとは思えないかな。

wii-speed.jpg

結果は、下り4.7Mbps、上り1.4Mbpsだった。
これは彼女の家の環境だが、俺のパソコンの回線と比べると下りは1.4倍速いが、上りに関しては2.3倍速かった。
まぁ、俺の家のネット環境は遅いのはわかっているから、逆に光なのにこれしか出せないのはかわいそうだと思った。
ある意味詐欺だろう。
今度パソコン開けた時に計ってあげよう。
光回線なのにあまり速さを実感できなかったのを覚えているから期待は出来ないだろう。


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    2010

04.02

着心地ゼロ

ちょっとCM見てて気になったので記事にしようと思った。
言いたい事はわかるのだが、広告としては『失敗』じゃないだろうか・・・と感じた。

ユニクロの「シルキードライ」という商品のCMだ。
最後に「着心地ゼロ」と表示されるのだが、着心地と聞かれて良いイメージを思い浮かぶのではないだろうか?
着心地が良いとよく使われ、着心地が悪いというのはそこまで聞かない。
なぜなら、悪い時は「むれる」とか「きつい」とか「肌触りが嫌だ」とか具体的な情報を口にするからだ。
少なくとも俺はそう感じた。
ということは、他にも似た人はそれなりの数がいるはずだ。

着心地は、字の如く「着物を着たときの感じ。」である。
なので着たときの感じ方についてどうなのかという時に用いられるので、良ければ「着心地が良い」、悪ければ「着心地が悪い」が正しい。
着心地ゼロということは、「着た感じがない位の自然さ」だとアピールしたいのだろうとすぐに理解出来たものの釈然としない。
それは先ほど言った理由からだ。

広告というものは「極めて短い時間で商品を要領良く明快に紹介してプラスのイメージを植え付ける」事が目的であるので、僅かでもそれを阻害してしまうのは広告として良いとは言えないだろう。
着心地ゼロという文字を見たとき、「良さがないのか?」と瞬時でも感じたのは事実であり、それはマイナスイメージだ。
もし「着た感じがない位の自然さ」を端的に表現したいのであれば、『装着感ゼロ』とか『浸透着』などの方が合っていると感じた。
敢えて目立つために意図的にやったのならわかるが、本命案ならちょっとどうかと思った。

単語の本来の意味とは別にイメージが先行して誤認するケースというのは非常に多い。
誤認が余りにも多すぎる場合、「全然」などのように単語の意味自体が変えられてしまう程だ。
例えば、「確信犯」は『自分が正しくて周りが間違っていると思い行動した結果、法に触れること』を指すが、多くの人が『法を犯すと分かっていて敢えて行動してしまう行為のこと』だと勘違いしているだろう。
つまり、いくら単語が正しくても広告などのように不特定多数の人間に公表する場合、その単語のイメージが持つ情報まで考慮しなくてはならない。
大金と時間をかけて、少数ずつ事実を理解させた所でちっともコストに見合わない。
ならば、勘違いが起きないようにする方が圧倒的に簡単である。


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    2010

03.26

「ヤリ逃げされた」は被害妄想

この言葉を使うのは主に女だと思うのだが、非常に不思議でならない。
というのもこの言葉を使う人の多くは自分を「被害者」だと思っているからだ。

条件として「お互いが独身における場合」であるなら、それは能力が低いから仕方ないんじゃないかと思う。
まず、sexするって事はお互いの同意の上である事が前提だ。
その前提を満たさないならレイプになってしまうので違法行為である。
つまり、強引に行っていないのであればお互いがしたいと思ったのだからその後の関係などは知った事ではないのだ。
それ以降も繋ぎとめるかどうかは、本人の能力次第となる。
片方が人間としても求めたくなるほどの異性力や人間力があれば、相手はずっとい続けるだろう。
しかし、離れてしまうという事はそれ以上の魅力を感じなかったのだ。
最初は体目的だったかも知れないがどんな理由であれ同意した時点で立場は同等であり、またそれ以降の関係も自由である。
これが本来あるべき姿だ。
体を許したからと言って強引な拘束力を発揮するのは間違っている。
もしそれが当然だと言い張る人がいるならば、相手の尊厳を完全に無視して自分の独特の概念を押し付けているだけに過ぎない。
基本的に、個人の自由と尊重は保障されるべきであるからだ。
その後の心配をするならば、最初からリスクを負ってまで行動すべきではない。
それを承知で行動したのならそれは自分にメリットがあると感じたはずだ。
つまり、勝率は無視したとして自分が賭けをした上で負けたのにギャーギャー騒いでいるだけにしか見えないのだ。
全ての人間には、自分の意思によって行動を決定する権利がある。
なので、「ヤリ逃げされた」という人は人間としてどれだけ未熟なのか自分で発表しているように思える。
ただ、唯一拘束力がある場合がある。
それは妊娠した場合のみだ。
「付き合うことを前提で求められた」と言った場合も無効だ。
金銭の授受による肉体関係は法律で認められていない。
という事は、ある約束を元にした肉体関係はグレーである。
それは本来あるべき状況ではないと言っておきたい。
ボノボやチンパンジーが食べ物を貢ぐかわりにsexを求める行動と被ってみえる。
なので、もし何かの約束を元にしたのなら自分を安く値下げしてしまった事を悔いるべきだろう。
異性力や人間力が優れているならば、何も言わずに相手は留まる事を希望するはずだ。
浮気云々言うのも同様に感じる。
何かに失望したり耐えられないならば、我慢せずに適している相手を探す旅に出るべきだと思う。
ストレスを感じてまで一緒にいる必要は何もないからだ。
それを薄々感じていながら結婚に突入してしまうのは自分の能力不足と判断ミスでしかない。


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    2010

02.28

ブラッディマンデイのパクリが酷すぎる

TBS系で放送しているブラッディマンデイというドラマがパクリ過ぎて酷すぎる。
まず、基本的にジャックバウワーでおなじみの「24」というアメリカドラマをパクっているのは誰の目にも明らかだ。
だが、その程度ならまだ良かったのだが、今週の放送ではアメリカの映画「ブラックサイト」をパクっている。
もうどこかの国を連想させるようなヒドさだ。
これだけ露骨にパクっていて問題にならないのだろうか。
倫理的にどうかしてるだろう。

そして、24をパクってるくせにあまりの稚拙な演技に「これはリハーサルなのか?」と考えてしまう。
まず、敵が喋りながら歌いながら(?)ショットガンを持って道の真ん中を堂々と悠然に歩き、追い詰められている方はハンドガンを持って角に隠れているのに怯えているというバカ過ぎる状況が当たり前のように放送している。
マジっすか?
いくらミリタリー音痴でもそこまで悲惨な結果になったのはなぜなのか教えてもらいたいものだ。
まず、道の真ん中を歩く行為が自殺行為である事はその道を知っている者なら誰もが分かりきっている程の初歩の初歩だ。
しかも相手はショットガンを持っているのだから考えて戦えば明らかに有利になるだろうに、もう意味がわからない。
ショットガンの有効範囲の狭さと独特な特徴は非常に限定された場面でのみ有効という扱いにくい銃器だ。
銃撃戦において自分の場所を知られるというのは圧倒的不利であるのにも関わらず、大きな声で喋りながら歩くという行為が何を言いたいのか理解出来ない。
銃の構え方も練習すれば良いのに素人丸出しでもっと本気で取り組んで欲しい。
確か昔ヘリに乗った所からスコープ付きのショットガンを撃っている日本のドラマがあったのだが、ギャグ漫画としか思えなかった。
まず弾が届くわけないし、ヘリが出している風でどれだけ弾道に影響を及ぼすのだろうか。

あとテロリストがツァーリボンバを持っているらしいのだが、トラップで用意された爆弾が地上のコンテナにあったのだが、地上って!!!(爆)
旦那、ヤル気あるんすか?
空中で爆発させた方が圧倒的破壊力を生み出すのに地上で爆発させたら宝の持ち腐れも良いとこでは?
もし空中で爆発させるならば、その巨大すぎる大きさから一定以上の爆撃機にしか搭載出来ないのだからすぐにバレるだろう。
だから最終的には地上での爆発しか有り得ないんだろう。
しかし、今頃ツァーリボンバを題材にするなんて時代遅れもいいとこだ。
なぜ、今頃ツァーリボンバなのだろうか。
24ではその武器は常に新しいものなのだが、今頃ツァーリボンバって笑らずにはいられない!(爆)
あと15~20年早ければもう少しセンセーショナルだったと思う。

ツァーリボンバは威力こそ世界最大級だったが、冷戦時代の負の遺産だ。
当時アメリカとソ連が原爆から水爆に移り、より威力の高い水爆を作る事を争っていてこれ以上はないと言われるツァーリボンバをソ連が作り上げたのだが、あまりの巨大さや威力の大きさから現実的ではないとされ、威力拡大の競争に終止符を打ち、代わりに戦術的核兵器を作るようになった。
つまり、小型で誰もが持ち運べ、ピンポイントで敵地の重要拠点を破壊する事への針路変更だ。
小型化する事で威力は抑えられるが、より現実的で可能性の高い戦術的核兵器の方が兵器に向いていると判断されたのだ。
つまり、威力だけを見て「これぞ最強」と思ったのかツァーリボンバを登場させたシナリオは余りにもお粗末だと言わざるを得ないだろう。

ツァーリボンバ(自国への被爆量を考慮して本来100メガトン級だったが50メガトン級に抑えたもの)


ツァーリボンバではないが、こっちの方が対象物(戦艦)があって凄さが伝わる(水中爆発)


ていうか、実は核って世界では物凄い量が爆発させられてきたんだよね。
今更数発どっかの国に打ち込んでも大して差がない気がする。
むしろ、原爆や水爆よりも原子力発電所の爆発の方が恐い。
チェルノブイリ原発事故で未だに放射能汚染で物凄い被害があるわけだし。
広島、長崎の放射能問題ってどうなったんだろう。
どこの資料探しても今の状況が全然分からないんだよね。




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    2010

02.21

優しさが抑止力

治安悪化を招かないためどういった措置をとるべきだろうか。
俺は刑罰を重くする事が良いと思っていた。
例えば、最低限でも「目には目を」の3倍の処罰などだ。
つまり、犯人が行った行為を犯人に同じ事を3倍にするのは最低限行うというものだ。
そうすれば、殺人なりにしてももっと思いやりをもって(というか自分の身を案じて)犯行に及ぶと思う。
無残な虐殺を行った場合、その刑罰はこの世のものとは思えないだろう。

しかし、普通の人であれば褒められたり敬われたりすると自分の立場を理解し、酷い行為を行いづらくなる。
酷い行為に対して「そんな事するとは考えられない。何があったの?どうしちゃったの?」と涙を流して崩れ落ちれば少なからず罪悪感を感じて深く反省する可能性もあるが、「なぜそんな事をしたんだ!バカじゃないのか!何を考えているんだ・・・」などの批判をされると忍耐許容量を超えた途端に開き直るようになる。
一度こうなってしまうと逆ギレすれば凌げると理解して平気で酷い行為をし、逆ギレをするようになる。
地域的に迷惑問題で有名な人たちを見ると完全に開き直っているのがわかる。
その状態が長く続くと自分と世間との境界を創り出し、非現実的または気にするだけの意識を喪失する傾向にある。
異性に意識を持たなくなったり(身なりに気をつけなくなるなど)、周りに興味を示さなくなる人もこれに近いものがある。
所謂、人の意見に聞く耳を持たない頑固者といった状態だ。
そういう人達を生み出すのはやはり個人の能力が欠けている点は譲れないが、周りの人間の対応も非常に大きな要因であると感じる。
そこで、優しく接しようとアドバイスを出しても「そんなの構ってられない」、「なぜ敢えて目線を下げて気を遣わないといけないのか」など言いたい事もあるだろう。
俺もそう思う。
努力した者が報われずに無努力者に合わせるというのは気分が良いものではない。
しかし、だからと言って単純に弱肉強食のようなあるがままの状態にすると、世の中が荒んでいくのではないかと感じたのだ。
昔の日本が治安が良い理由に、近所同士の意思の疎通が出来ていて相手を立てて自分を下げるといった分化があるからだ。
困った人がいれば助けてあげて年上が年下を教育し、年下は年上を敬い、争いが起きそうになれば知らない人でも周りが必ず止めに入り親身に話し合い、良い事と悪い事の良識を備えて対応する。
1日に最低でも20回は誰でも良いから相手を褒め合う(回りまわって必ず自分も褒めてもらえる)。
そういう昔の日本文化を取り戻せば、人々の心は大きく変わるだろうと思う。
小さな地域の中でも良いのだがそれぞれの人に役職を与え、その専門範囲を取り締まるようにすると明らかに意識改革が出来ると思う。
例えば、「子供教育の谷さん」とか「なだめの虎さん」のようにこれは自分が向いていると思える事を専門で行うようにする。
これは個人の差別化ではなく、意識改革が目的だから全員に役職をつけるべきなので役職が被っていてもOKだと思う。
そうやって自分にはコレゾと言った地位があると強く意識させる事で自分の行動などについても考えるだろうし、その社会の中における治安安定にも大きく貢献する。
当然起こるだろう職権乱用(?)に対しても監視する役職はある。
しかし、現代では完全な個人単位で考えられ、それぞれの社会的行動範囲や人間関係範囲が非常に小さい。
非常に孤独が目立ち、自分の立場を守るために見栄を張り、虚栄という名の武装防具で互いに牽制する。
僅かな接触に強い怒りや嫉妬を感じ人間関係が非常に不安定だ。
他人とは深く関わらず、誰かが襲われていても見て見ぬ振り、人の手柄も自分の手柄、我が身さえ良ければどうでもいいという考えが当たり前。
そんな状態は極めて危険だ。

霊長類の中で最も平和的なボノボと、非常に攻撃的な猛獣であるチンパンジーとでは文化が違う。
ボノボはSEXをお互いの平和維持のコミュニケーション手段としている一方、チンパンジーはメスの発情時期やSEXへの考え方が非常に人間に近い。
ボノボはSEXを日常的におおっぴらに行う事で知られている。
それは子供がいようが大衆の前だろうがお構いなしだ。
むしろ、子供も興奮して擬似参加するようだ。
だが、人間やチンパンジーはSEXは恥ずかしいもので誰にも見られずコッソリとするものという否定的な捉え方をしている。
それがストレスとして蓄積して凶暴化するのではないかと考えられている。
ボノボの社会では殺しは確認されていないというが、チンパンジーの社会では子殺しや対抗勢力の抹殺は一般的で同種でありながら殺して食べてしまう事はそう珍しいものではない。
まさに人間に近いと言える。
ボノボは遺伝的に性病が蔓延する事がないため、この文化を維持できているのだろう。
YOUTUBEで探してみると驚くほど映像が残っている。
これは愛と言うよりは、儀式のような感じに見受けられた。
時間で言うと僅か数秒程度だ。
また、人間以外で唯一正常位をするという珍しい種族だ。
女子の立場はよく分からないが、男の立場から考えると怒っていても射精してしまえばある種の虚無感や血圧の低下、精神の落ち着きによってそれ以上爆発する事態には発展しないだろうとは思うが、サルの社会ほど単純ではないので「落ち着いてもう一度問題について冷静に話し合う」という辺りが限界だろうとは思う。
やはり、より複雑な人間社会においては、「自分の非を認め謝罪する謙虚さ」が必要になってくるだろう。
余程な性格でない限り、完全に降参(?)した相手を更に徹底的に屍に鞭を打つ行為はないだろうし、怒りの爆発よりも問題の解決に着目した方が賢いとわかっている。
大きな問題になるのは互いが引かないからだ。

褒め合う行為についてもう1つのメリットがある。
相手を褒めるというのは非常に清々しく気持ちが良いものだ。
それが長い期間行われる事で性格が良くなるだろうと思える。
変に勘ぐって被害妄想に襲われ人間不信になる位なら徹底的に相手を褒めて相手と打ち解ける手もある。
北風と太陽だ。
力で圧倒し屈服させるには非常に大きなエネルギーが求められる上に相手から絶対に憎まれるようになる。
これは疲れるだけだ。
それよりも相手を褒めて敬い、お互いに楽しい気分で会話をする方が大きなメリットがある。
ただ、日本人は議論や討論という行為をほとんど行わないので自分の意見を話し合うと相手から攻撃されていると感じる事が多いようだ。
議論や討論は人間として大きく成長出来る大事な行為なので、これを喧嘩と勘違いする人は非常に勿体無い。
大抵、こういった事をすると自分の意見を相手に捻じ込み納得させる事だけに終始努力し、会話の内容の本質を理解しようとしないのだ。
自分の意見というのはあくまで「現時点での自分の考え」なだけで、まさかそれが死ぬまで続くはずがない。
となると、どこかのタイミングで考えの切り替えや変化が起きる訳だ。
その時、自分の考えよりももっと良い考えがあったんだと気付いて「現時点での自分の考え」を変えた事になる。
こういう成長は一般的に非常に長い年月をかけて起こる事が多い。
だが、議論や討論はそういう成長をあっという間に実現してくれるのだ。
大事なのは「現時点での自分の考え」に固執しないことだ。
頭の良い人は自分の過ちをすぐに気付き、その場で考えを修正する事が出来る。
俺はそういう人間を初めて見たとき、物凄い激震が走った事を今でも憶えている。
感動にも近いものを感じ、「凄い」と思った。
それを見たとき、俺もこうあるべきだと肝に銘じた。
22歳前後だったと思う。
その時から自分や新しい情報について客観的・多角的に考え、何が正しいのか考えるようになった。
そもそも意見に耳をもたない人間は、相手を見下していてバカにしているのではないかと思える。
相手を見下した瞬間、もはや対等ではなく今まで言った日本文化的な行為が全て成り立たなくなる。
つまり、この「見下す」行為が最も悪ではないかと思える。
一度形成してしまった人格を直すのには尋常じゃない努力が必要だが、根本的には不可能だと思う。
つまり、人格形成する年代の子たちに今から徹底的にこういった教育をしてもらいたいと思う。
だが、親が「バカな教師の言う事など聞く必要はない」などと逆方向の教育を施しているため希望は極めて薄い。
最終的に自分が行っている事は自分に返って来るので自分たちが老後、自ら子に施した教育によって形成された「見下す」人格がどういう結果を招くか理解できていないんだろう。
老後、人の手を借りないと生きていけない時、子供に助けを求めたら

「ウルセーよ、ジジィ!そんな汚ねーもんできるかよ!それより早く金出せ!」

と見下されて人生を終えるのも良いのかもしれない。
自分が願う事と行っている事が本当に伴っているかもう一度考えてみたい。


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    2010

02.11

好きな異性の落とし方(女子へ捧ぐ)

男を落とすには、その後も円満に続けるにはどうすればいいか。
女子の大きな問題であろう。
そこで比較的有効な情報を書いてみる。

男としての本能を刺激すればいい。
言葉にするとこの一言に尽きる。
では、男を魅了するだけの魅力がない人はどうしたらいいのだろうか。

案ずる事無かれ、ちゃんと抜け道があるのだ。
それは「人間としての本能を刺激する」ことだ。
人間には、五感というものがある。
視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚だ。
これを強く刺激する事で魅力的な女性に魅せる事が出来る。
だが、どれでもという訳ではない。
それぞれの感覚は脳を強く刺激する感度の順位がある。
医学的なことまではわからないので調べて欲しい。(時間が無いので調査は放棄)

個人的見解ではこうだ。
順位は、嗅覚>味覚>聴覚>触覚≧視覚だ。
嗅覚:覚せい剤などが粘膜で吸収され物凄い依存性がある程の感度
味覚:太ってもいいや、動物の命の尊重よりも肉食欲をとる程の感度
聴覚:素晴らしい曲で鳥肌や涙が出る程だが短時間で慣れてしまう程度の感度
触覚:ついついクセになってしまう程度の感度
視覚:絶景を見てうっすら鳥肌が立ったりタイプの女を見てドキッとしたりする程度の感度

特に俺は鼻が異常に利くので匂いが極めて大きな意味を持つ。
匂いである程度好きになる位に重要だ。
まず、体臭がある人は「不可能」で、好む所は「極力無臭」、今の彼女はフェロモンなんだと思うけど柔軟剤とフェロモンが混ざって頭がボーッとする位に良い匂いがする。
体臭はほっんとに無臭でスポーツで汗かいても匂いが全くしない位で驚く。
無臭に関しても極めて稀なタイプだろうが、そこに俺の嗅覚を激しく刺激するフェロモンが出ていて希少価値が物凄く高い事になっている。
これで肉質の柔らかさと性格的な楽しさと正しい事に努力出来る人間性という理性的な面で「お宝」状態な訳だ。
何かで喧嘩しても嗅覚でイチコロですぐにどうでも良くなっちゃう程だ。
ちなみに、彼女は「フェロモン出してます系」じゃないので俗に言う「フェロモンむんむん」のフェロモンではないだろう。
人間が持っている本当のフェロモンのことだ。
多分、みんなが持っているんだと思うのだが、興味のあるフェロモン以外には反応しないように出来ていると思われる。
そして、いくら発信していても受信側の嗅覚機器の性能が悪ければ意味が無い。

話しはだいぶそれたが、動物としての人間の本能を掴んでしまえば確実に制する事が出来るだろう。
胃を掴むと大きいとはよくいったものだ。
女の見た目はファーストインパクトが最大級なだけで付き合っていく中で段々と感度が衰える。
つまり、相手の美的ライン内であれば最大級じゃなくてもいい訳だ。
それよりもその相手が持つ、より強い感度をいかに刺激するかが肝心だろう。
しばしばオブラートに包んで「フェチ」と言われているが、何フェチかを聞き出してどの感度が高いかで攻めてみたい。
だが、最も大きいのはやはりフェロモンだろう。
自分のフェロモンに反応する相手が見つかったら反応しない相手との結婚よりも確実に幸せにしてもらえると強く感じる。
顔だけでつながると考えたくもない人生を送るハメになる事は容易に想像がつく。
間違っても顔だけで選んではいけない。


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    2010

01.29

冬将軍との最終決戦

衣類でどこまで寒気をしのぐか

それが今年の冬の課題だった。
一度暖房器具を使うとその楽さに甘えて連続して使ってしまうため我慢が出来なくなるまで極力使わないように考えていた。
なぜ暖房器具を使わないようにしたかというと、「本当に暖房器具を使わないで冬は越せないのか?」と疑問を持ったからだ。
ここで既に闘争心に火がついた訳だ。
あとはエコを考えてのことで、最後に暖房器具をオイルヒーターに替えたという事で非常にコストがかかるからか。
どの位高いかは前に書いたが、主婦が家にいる間ずっと暖房つけている感覚で使うと多分4~5万円位いくと思う。

前置きはこの辺にして、実は最後の戦友を見つけたので報告する。

muji.png

無印良品から「あたたかファイバー 洗えるやわらかい ルームブーツ」という商品が出ている。
というのも、以前の記事で書いた武装スタイルでは胴体、太ももという大きな部分の保温効果は抜群で寒いとすら感じないレベルまでになったのだが、どうしても手足までは覆われないために寒さを感じる。
まぁ、手はポケットに入れてたり手袋したり素手でも耐えられるが、足は結構な寒さを感じる。
というのも、冷気は下に下りていくからだ。
靴下を履いていても寒さを感じる。
これを何とかしたいと思っていたら、この商品に出会った。
女性専用なのかとても小さくてパツパツではあるが、一応「履けた」。
冷気を一切感じなくなった。
正直凄いのだが、如何せんサイズが小さくて足がね、窮屈なん。
そしてクッション性ゼロで歩くと足が不安になる。
特に踵腓靭帯を痛めているからこのブーツで歩く事は一切していない。
歩く時は面倒だけどゴム厚底サンダルに履き替えてる。
また、靴下の中にマイクロフリースのパンツの裾を入れることで冷気の侵入をカットして体温で作った暖気を逃がさないので体感温度が全然違う。

ここ1週間以上の間、寒さという寒さを感じなくなった。
体が慣れてきたのか気温が上がったのかどっちだろうか。
気象庁HPで気温を見てみると、先週に比べ今週は確実に暖かくなっている事がわかる。
だが、1月より2月の方が寒いと感じている俺にはこれからが本番だと思っている。
調べてみると、1月の方が寒かったり2月の方が寒かったりで年によって結構異なるようだ。
kion2.png

そして、短時間で作れると思ったのでグラフにしてみた。
15分以内で出来た。
kion_.png
2009/1が例外的な推移を見せているものの、気温2度を切っているのはやはり破線が目立つ。

そこで今年の分を反映してみた。
all-1.png
19日までは例年より気温は低かったようだ。
確かに暖房器具なしだったので寒かったからね。
その後からは平均~高めに推移したおかげで今はどって事はない。

例年の1月と今月とを比較。
all1-1.png
総合的に見ると、平均的な感じに思える。
20日を境目にした前半と後半の差が明らかに違う。

例年の2月と今月とを比較。
all2-1.png
2月と比較しても前半は断トツに寒かったようだ。
後半でも平均的な数値なのはなぜ?
2月後半って3月に差し掛かるはずなんだが。

これでわかった事は、これ以降突然アホのような寒さに見舞われる事はないような気がする。
ただ、2008/2のパターンになると今後12日程度は今よりも気温が確実に低下する可能性も捨てきれないが2009/2パターンならこのままの状態で2月を終える事が出来そうだ。
つまり、これから寒さが厳しくなったとしても最大でも16日間位だろうか。
十分許容範囲だ。
今年は暖房器具に依存した生活を送る事なくやり過ごせそうだ。


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    2010

01.26

パソコンが物凄くうるさい

去年の5月頃から7年間ほど使っている2つの内蔵HDDのうち、1つを交換した。
というのもガリガリ煩くなって3年ほどが経過したが明らかにヤバい音がしたからだ。
「ガッガガガッガリッ」という強烈な音だ。
HDDは3年に1度は交換した方が良いようだ。
意外と寿命が短いが使い続けても結構使える。
そして使い続けていたHDDのバックアップを取ってから新しい内蔵HDDを取り付けて戻した。
内蔵HDDは容量にもよるが数千円で買えるので値段的には痛くない。

取り付け後、2週間程度でカリカリと音が鳴り出したので「あぁ、初期不良掴んじゃったなぁ」とガッカリしていたのだが、とりあえず我慢できる範囲だったので放置しておいた。
次第に音が大きくなり、去年の12月頃からは爆音が鳴り出した。
ガリガリガリガリととても煩かったが断続的だったのでまだ良かった。
しかし、年末に差し掛かる頃になるとシリンダーのような金属が回転しているような音が持続的に強烈な爆音を上げるようになった。
腰位の大きさの冷蔵庫の音を遥かに凌ぐ爆音だ。
5倍位かな、とりあえず我慢出来ない範疇だ。
購入した店にHDDを取り替えてもらおうと思ったが、HDDは2つあるので本当に買った方が煩いのか確認してみようとパソコンを開けてみた。
煩いのはHDDじゃなくてグラフィックボードだった・・・。

ずっと交換したタイミングで音が鳴り出したHDDだと思っていたら他の古参パーツだった。
もう8年半は使ってるから色々とお年を召してきているようだ。
グラフィックボードを交換しようと思い、何のスロットかマザーボードを見てみると「AGPx4スロット」だった。
もう古代系スロットでこの規格のグラフィックカードが売ってないんです。
頑張って探した結果、売ってるには売っているのだが当時「Geforce4 Ti4200」を4500円位で買ったのに多少近いものが現在600011000円前後で売ってた。
これは足元見られ過ぎだね。
現在の他の性能や時間経過からすると800~2000円位でもいいはずなのに。
でも、今のパソコンを静かに使い続けるには新しいグラフィックボードが必要なのだ。
どうしても欲しい・・・
というのも今のパソコンのマザーボードにはグラフィックチップが搭載されていないので今のグラフィックボードが壊れたらアウトなん。
画面に何も映らなくなる前にバックアップ取るなりしないとだ。
今年の半ば頃にパソコンを買おうと思っていたが早まる可能性がありそうだ。
だが、捨てるのは勿体無いので2台所有しておこうと思っている。
そんな中、今のパソコンを失うのは残念でもある。
足元を見られつつも6000円出してグラフィックボードを買うしかないのかな。

ダメ元でグラフィックボードを掃除してみようと思った。
とりあえず、取り外してみた。
SH380123.jpg

煩いファン部を分解してみる。
SH380124.jpg

SH380125.jpg

やっぱり汚いのだが、HDDの時から比べるとかなりマシなレベルだった。
SH380126.jpg

エアースプレーでゴミを飛ばそうと試みたが全く効果なし。
歯ブラシでゴシゴシしてみたが意味なかった。
こうなったら水でジャブジャブ洗いましょ。
奇麗になった。
SH01.jpg

他の部分も水拭きしてみた。
結構奇麗になった。
SH380127.jpg

ドライヤーで十分に乾かしてから更に5日程放置して水分を完全に排除した。
水を使っても電気さえ通っていなければ問題なく、次電気を通すまでに水分を完全に消滅させれば使えるようになる。

どれどれ「スイッチON!」


ガリガリガリガリッ・・・

初っ端から音が鳴り出した。
やっぱりグラフィックボードが寿命だったんだな。
やっぱり古代系グラフィックボードを買うしかないのかも。
どうせならメモリ増量しているのを買おうかな。
デバイスマネージャから今のグラフィックボードを見てみると「Geforce4 Ti4200 with AGP8X」となっていた。

AGP8X?

マザーボードのスペックは4Xだけど8Xまで対応してるのかな?
それともグラフィックボードが8Xまで対応しているのか?
とりあえず、マザーボードのAGP動作確認リストに載っているものでPASSしているものを片っ端から探して見るかな。

1つ教訓になったことがある。
パソコンを買った時は、そのマザーボードが対応する周辺パーツを最安値になってから市場から消えるまでの間に複数個買い置きしておけということだ。
次のパソコンになるとCPUは「Core2Duo E8400」辺りで周辺パーツも相応のものだからもはや普通の処理は難なくこなせるはず。
ハイスペック推奨の処理なんてそうそうしないから次のパソコンからは相当息が長いと見ている。
恐らくは15~20年程か。
そうなると周辺パーツは寿命で壊れてくるので替えパーツが必要となる。
今回のように市場に存在しなくなる前にいくつか買い置きしておく事が良いだろう。
マザーボードはちょっと奮発しても良いかもね。
LGA775のCPU対応範囲が幅広いので結構助かる。
Core2Duoが遅いと感じる時代(周りのソフトやアプリがハイスペックを推奨するようになってきたら)になったらCore2Extremeを使うようになるのかな。
まぁ、その時になったらまた考えよう。


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    2010

01.11

家事育児と仕事、どちらが大変か

結婚して子供が生まれると度々起こる主婦からの「凄く大変!こっちの方が大変!」という言葉。
果たしてどちらの方が大変なのかと疑問に感じた事がある。
まず、男性がそういった経験をしないという点で比較のしようがないので決定する事は不可能だろうと思う。
それを踏まえて考えてみる。

結果から言うと、外で仕事をしている方が大変だろうと感じる。
まず、人間は経験した事無い事に対しては大変だと感じる事が多く、また追い詰められる経験があるかどうかで忍耐力や度量が決まってくる。
親に殴られた事もなく普通に育ったり何もせずに育った人間がストレスのある環境に追い込まれたら物凄いストレスを感じて老化や病気、細胞の寿命が短くなるといった全てにおいて悪影響が出る。
個人的には日本の女子の多くはぬくぬくと育っている率が高くて許容範囲はほとんどない上にヒステリックを起こす生物だと思っている。
Mっ気が強くてそういうのが好きとか恐くて何も言えないっていうのは除く。
それに比べて男はヤルかヤラれるかの喧嘩を繰り返す可能性がそれなりに高く、大抵の人は殴り合いや対立などによって長時間~長期間に渡り生命の危険を感じたことはあるだろう。
そういう点で許容量は男の方が断トツに高いだろうと感じる。
男の方がアタフタしたり喜怒哀楽が出やすいのは体温や代謝、血の気の多さ、アグレッシブさが突出しているせいだ。

まず、家事が大変だと言うのは論外だと思う。
俺は親のスパルタ教育により幼稚園に入るかどうかの時から家事の手伝いをして小学校に上がった時からは妹と全ての家事を行っていた。
妹の面倒もみさせられて、妹が問題を起こすと俺が殴られるといった感じだ。
小学生に入る頃からやっていた家事は、料理以外の全てだ。
掃除(部屋・風呂・トイレ)、洗濯、風呂入れ、布団の敷き・たたみ、ご飯を運ぶ、食器洗い、買い物に行くという内容。
これを規則通りに行わないと殴られていた。
殴るってポコッ程度じゃなくてバチンと拳で殴られるレベル。
殴る場所は頬じゃなく真正面から殴るので当然1発で鼻血はダクダク出るし物で殴られる場合は物が壊れるほど。
そろばんで殴られた時はそろばんが一発で壊れて、玉がパラパラ散らかるのも全部拾わされる。
スチールの棒や木製のハンガーなどで殴られる事もよくあったけど拳で殴られるよりは痛くないのでラッキーと思っていたことを覚えている。
掃除は週3回で部屋を丸く掃除してもすぐ殴られる。
掃除の時は全ての家具をどかしてカーペットや絨毯もどかして掃除しないといけなかった。
しかも掃除機をかけるのも一回のストロークで終わらせると「そんなんでゴミが取れる訳ねーだろが!」と殴られる。
同じ場所を最低でも5~6回往復、機嫌が悪いと10回位必要だが、それも親が「やりすぎ。もたついてる」と思えば殴られる。
掃除だけは注目されるから唯一常にチェックされる家事でとても嫌いだった。
横着、テキトー、サボり、無努力、ズル、ウソと言ったものが大嫌いでこのキーワードの行動を行うと謝っても30発位ノンストップで殴られる。
1発で吹っ飛んで立っていられない威力だから倒れこんでる所を馬乗りで殴りまくり。
記憶が飛んだり気絶したりって事もよくあった。
殴られた時もすぐに立ち上がらないと逆鱗に触れてノンストップモードに入る。
声は絶対に上げちゃいけない、出せる言葉は謝罪だけだ。
これは風邪を引いてようが容赦なく行われる。
体調や状態によって優しくするということは俺の親には全くなかった。
そうすると仮病を使うようになったりいかにやらないように考えて堕落するから許さないと言っていた。
この軍隊とも思える鬼の幼少期を過ごしたから世の中の方が楽でたまらない。
ハッキリ言うと屁でもねー
子供の頃は親のそばに居たくないから家事をやっている方が安心してた。
逃げ場が無いから家事をしている時間が唯一安全だった。
しかし、親は例の如く「同じ事をやるにしても常に時計を見て時間短縮を心がけろ。ダラダラやっていたら何の進歩も無い。これからは時間が遅かったら殴るからな」という感じでその平和な時間すらも短くなった。
だから家事が大変だとはこれっぽっちも思わない。
家事が終われば親の趣味に何時間も手伝わされ、マッサージも1~2時間させられたりと実家にいる時に楽しいと思えた事は何もない。
おかげでマッサージの上手さがプロ並みらしい。

で、専業主婦だ。
自分で決められるスケジュールでやりたい事も出来、それこそパパパッと手際良くノルマをこなせばあとは自由時間だ。
菓子食いながら好きなテレビ観たりお茶したり友達と遊んだり出来るわけだ。
それらを行うことは決して「不可能」ではない。
あとは個人の能力次第だ。
しかし、外で働くという事は確実に「不可能」である。
まず、日々の自由度が全く違う。
そして、最も大きいのはあの不快で不快で不快で不快で不快で不快で不快で不快でたまらない満員電車のラッシュを経験しなくていいという事だ。
臭いオヤジやウイルスの被爆率、空気の悪さ、イライラ感、人身などあろうものなら・・・考えるだけ嫌になる通勤は本当に嫌だ。
俺の場合は仕事が趣味に近いものもあるので仕事への不満は全くないが、営業職の接待などは好きでもない、むしろ嫌いな相手をヨイショして人前で恥をかき、心身ともにズタボロになるあの仕事内容だけはどんなに金を出されても俺には出来ない。
また、大口契約のプレッシャーや重要なプロジェクトのケツが間に合わなくなった場合のストレス、部下の教育や上司からの高い目標などそのストレスは壮絶だ。
すぐに辞めるだろうから「軽負担、無責任、低水準能力」の三拍子揃った単純作業を与えられている女子の仕事内容と比較しているのは端から間違っている。
同等の仕事をしてから初めて「仕事の方が楽」とか言うべきだろう。
うちの職種は専門職で慢性的に人手が足りず常に1.5倍以上の仕事量をこなさないといけない事がほとんどだ。
最も大変だったのは月平均労働時間270時間位で、過渡期平均は330時間、最大で380時間という熾烈を極めた事があった。
30日のうち、休日は4~5日程度で15日間は家に帰ることすら出来なかった。
そんな仕事、女子の方に出来ます?
どうせ辞めて楽な仕事するだけでしょ?
仕事を比較するにしてもスタートラインがまるで違うから比較のしようがない。
バカバカしいんだよね。

次は、子供だ。
育児が大変なのはとてもわかる。
だが、その許容量が問題なのだ。
同じ仕事レベルでも感じ方は許容量次第だ。
まず、犬を飼った事が無い人は論外だね。
「育児行為」を行わなかったのだから大変だと感じるのは当たり前。
だって、やった事ないんだもん。
そりゃ、大変でしょ!
実家ではドーベルマン飼っていたからみんなが育児行為をしていた。
そのうち子が産まれ、一人一匹担当制になった。
まず、「数人で面倒をみる」と「一人で面倒をみる」の差は決定的だ。
一人という状況は本当にハードルが高いものだ。
うちでは「家族はいないものと考えろ」が鉄則で、他の人の犬の面倒はみる義務はなかった。
そしてその犬のしでかした失態は飼い主が身をもって償うのだ。
俺が育てた犬はかなりレベルの高い犬に育った。
基本的に広場に行くとリードを外しちゃうんだけど、掛け声1つですぐに足元に返って来る。
リードを引っ張る事はまずないし他の犬や人にちょっかいもかけない。
言う事を聞かないという状況はまずなかった。
ただ、悩みは溺愛しすぎたせいか、俺への依存が強くて俺がいないとピーピー鳴いて大変だった。
あといつもついてくるから結構大変というかウザかった。
ちなみに俺が育てた子は、親が「このバカいらねー」って言って見捨てた子だった。
お母さんを育てて、子を育てた時に明らかに育て方を変えた。
お母さんは始めての犬だったから物凄い期待をかけて口うるさかったから神経質な子になった。
その失敗を踏まえて、厳しくする所はするがちゃんとした恐さは一度だけしか教えずに済み、あとはその恐さがあるから普通の注意でなんなくいけた。
そして、多少の事は目をつむるということを徹底した。
本当にダメな時はシッカリ怒るけど、怒ってばかりいると神経質になったりストレスを感じるようになって良くないから優しく一声かける位に抑えた。
あとは褒めたりかわいがる事に徹した。
しかし、全く手を出さないという訳ではないから「褒めて育てる」とは違う。
「アメとムチ」だ。
多分、3代目、4代目と進むにつれ教育方針は改善されるだろうと思えた。
それは子供を育てる時に非常に役に立つと強く感じた。
犬というのはどんなに賢くても低いラインで頭打ちとなる。
つまり、「一生面倒を見てあげないといけない」レベルなのだ。
人間の子供など、手がかかるのは4歳位までだろう。
実際に俺は幼稚園に入る頃には家事を手伝い、小学校に入る頃には家事全般やっていたのだから。
あとは親の教育レベルだと思う。
親の場合、殴る蹴るは虐待だと思うから暴力がなければ理想だったろう。
つまり、5歳以降からは自分の部下になり戦力になるのだ。
戦士に育てるか犬に育てるかは親次第だ。
大変だと愚痴をこぼす親は自分で自分の首を絞めているといっても過言ではない。
教育について少しも考えた事ない人間が楽に育児を出来るわけがない。
育児というのは覚悟が必要だ。
あとは本人の覚悟次第という話しだ。
犬なんて糞尿の世話は勿論、ご飯、散歩、風呂に入れる事、遊んであげる事は一生付きまとう。
およそ15年間ずっとだ。
たったの1日も欠かさずだ!
これほど大変なものはない、たった「可愛い」という理由で飼いはじめたその気持ちで一生やりぬかないといけない。
その多忙さ、キツさ、大変さは「可愛い」というもののために行うのだ。
人間など3~4歳までが大変なだけだ。
あとは自走式で勝手に生き自分の事は自分でやってくれる。
なんて楽なんだろう、たったその数年間だけだ。
ドーベルは犬種的に臭くなりやすいのか、3日も風呂に入れないと異臭騒ぎになるから毎日~2日に一回は風呂に入れているのだが、これがまたとても大変だ。
毎日5kmの散歩(ダッシュ&マラソン)があるせいもあるのかも知れないのだが・・・

育児で何が大変なのか調べてみた。
そのほとんどが気苦労なだけだ。
何か1つあるたびにあーじゃない、こーじゃないと心配性。
老婆心もいいところだ。
勝手に自滅パターンだね。
生物を育てる経験がない人間が始めて育児をするからこーなる。
自業自得だ。
今よりも文明力が低い戦後ですら子供は虐待放置プレイで放し飼い状態なのに逞しく生き残っている。
そんなすぐに人は死なない事をまず理解しておくべきだ。
次に、「泣き声」だ。
むしろ、これが最も大変だと思う。
逆にこれ以外は眼中にないほどだ。
俺の場合、母さんが言っていたのは「泣いたら殴られていた」と・・・言っていた。
止めてもとばっちりを受けるだけだったみたい。
新幹線などで泣くと容赦なく殴られていて周りの人が止めるほどだったと言う。
そのうち泣かなくなったみたい。
最終的に泣かない赤ちゃんになったから母さんは楽だと言っていたが殴っているのをみていて恐いと思っていたようだ。
特に人前で騒ぐと俺の親は人前だろうが容赦なく殴り続け、家に帰ると更なる虐待というか拷問が待っているから恐くて「あれ買って!」と騒ぐ事は一度もなかったしギャンギャン騒ぐ事は一切なかった。
俺はあまり覚えてないが母さんが言っていたのを覚えている。
まぁ、その反動で敵無しの学校が凄く楽しくてイジメてばかりいて相手の親によく怒られていた。
で、結局は親の天誅が下るのだが。
2つ言われた事があった。
「イジメられるなら位なら相手を殺しても良いが弱い者イジメだけはするな」と「イジメられている子を助けるなら喧嘩してもいい」だった。
俺に喧嘩売ってくるのは学年で1人しかいなかったがそいつは実力というよりは組織力だった。
一時期イジメられている子がいないかパトロールしていた事があったのを覚えている。
喧嘩が唯一の楽しみだった。
喋くり合ってるのだけって穏やか過ぎてつまらなく、喧嘩はスポーツのような感じで楽しかった。

子供の頃はどう躾けるかで性格が決定するので教育方針はとても重要だと思う。
世間にバカガキしかいないのを見るとそういう方針もなくただただ育てている人はかなり多いと感じる。
大変、大変といっている人間の多くが自分で大変な状況に追い込んでいるんだろう。
本当にそう思うよ。
大変だと思うなら何が大変なのかを箇条書きにしてその対策を考えたり分析したり、そう感じる比率と時間帯など冷静に詳細に分析をすべきだと思う。
そういった努力をせずに騒ぐだけって本当に愚かだと思う。
仕事はそのほとんどが「生きるために行う」のに対し、育児は「自分たちの宝をどこまで昇華出来るか」と自分に残る事を行う。
つまり、人生で最大の投資だろう。
仕事はその対価としてもらう金銭だけで終わりだが、子は一生だ。
どっちが本気になれるか考えたら育児じゃないだろうか?
金銭などある意味どうにでも稼げる訳だから。
そう考えると、家事・育児をする主夫でも別に悪くないと思える。
多分、俺が主夫になったら「いかに精度の高い子供を作るか、いかに料理人レベルの美味しい料理が作れるか、いかにカッコ良い部屋のインテリアを考えるか、いかに早く家事を終えるか、そしてその余った時間でトレーニングしたりスポーツしたり、学術の勉強したりと絶対に人生を楽しむ」だろうな。
目標がない人生ほど無駄で退屈でつまらない事は無い。
視点を変えるだけで楽しいと思わないか?
正念場なのは泣き続ける時期だけだろう。
あとは楽だと思う。
特に幼稚園や学校に行ったら時間があり余るだろうね。
自分のやりたい事やりまくれるじゃん。
最低でも1日4時間は完全な自由時間があるだろうと思うし夫の帰りが遅い家はさらに自由時間が多い。
子供に英才教育させてなければ、子供の帰宅時間は更に遅くなるだろうから自由時間パラダイスじゃん。
何が大変なのかわからない。
1日12時間位もやりたくもない事をしなきゃならず嫌々働かざるを得ない方がツラいと思うよ。
自分ひとりなら転職したり好きに生きたり出来るだろうが妻や子を養う義務があるのだからその責任感は大きいと思う。
ストレスが最も体に悪いのは雑に言うと男女の平均寿命が物語っているね。
主婦にするか主夫にするかは話し合えば良いと思う。
主夫だから肩身が狭いというのは無いと思う。
色んな人間が結び合っているのだから色んな形の家庭があっても良いと個人的に思う。
恥ずかしいと思ったり肩身が狭いと感じるのはそれこそが狭い了見で恥ずかしいと感じる。
横峰パパのような英才教育一筋とか結果を出すには想像力の数だけ存在するのだからね。
最終的には結果を出せばOKだろう。


大変、大変、つらい、つらいと考える前に本当にそれは大変でつらいのだろうか?
考え方を変えたとしてもそれは変わりないのか?
上司がいないし自由時間多いし楽だと思うけどね。
ていうか、掃除も洗濯も風呂も何もかも・・・自分の為でもあるよね?
育児だって自分が欲しいと欲しいと願った子供でしょ?
違うの?
子供なんていらないのに夫が作りたい一心ならばまだわからないでもないが、少なからず子供が欲しいと願ったならば仕方ないんじゃない?
それとも想像すらしなかった試練に後悔して感じた事も無いストレスに苛立ち、あるがままに騒いでるだけ?
だとしたら自分勝手もいいところだよ。
家事も育児も自分のために行っていると言えるよね。
外の仕事は金のためだからどっちが自分のためになるかよく考えてみた方がいいだろう。
男に代わって外で金銭を稼いで来るならば、60歳まで男と同じ給料を稼ぎ続ける自信はあるのか?
病気になろうが生理になろうが強いストレスを受けようが社内の人間関係に悩もうが体力が衰えた体に鞭打って毎日の満員電車の押し合い攻めぎ合いを出来るか?
自分の城で自分のタイミングで自分のやりたいように自分のためでもある家事・育児を行う事が本当にそんなに大変なのか?
もう一度考えた方がいいだろう。
考え方を変える事によってストレスをコントロールする能力を勝ち取るか、バカの一つ覚えのように感じたまま騒ぎまくって負の連鎖を呼び起こすかは貴方次第だ。
どうせなら、楽しく生きてみないかい?
望まないのに恐怖するしかない人生ではないのだからね。


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    2010

01.06

この世の設計図

この世の全てはある法則の下に成り立っている。
それを論理的に理解する者は誰もいないが、生物はその法則に基づいて進化を遂げていた。
この内容には非常に強い興味があるものの現段階の人類の知識ではそれを知る事は出来ない。
こう考えたことはないだろうか?

「なぜ、美味しいものは太りやすいのか?太らないものが美味しければ良いのに。」

その答えは簡単に言ってしまえば「細胞が種を絶やすことなく生き抜くために脂質やタンパク質を多く含む生物を優先的に捕食するためのシステム」だろう。
この飽食期があと数千年、数万年続けば太らないのに美味しいと感じる事が出来るかもしれない。
いや、既に太りにくいものを美味しいと感じている人はいるだろう。
始めはそういった身近なものから疑問を持ち始めた。
この世で最も繁栄している生物である昆虫にはそれぞれの種が生き残るためにとても驚かされる能力を身につけている。
昆虫に限らず、「半透明」なもの、「毒を持つ」もの、「光る」もの、「再生する」もの、「色を変える」もの、「形態を変える」もの、「局地的温度に耐える」もの、「分裂する」もの・・・
それぞれの生物が環境に合わせ、状況に応じて進化の過程で手に入れた能力だ。
なぜ昆虫が成虫になるまで「卵→幼虫→蛹」という工程を経るのか。
その理由に「陸上に進出したばかりの昆虫は、先祖のもっていた幼生期を卵の中に閉じこめるために、大きな卵を産んでいた。しかし、遅れて進出してきた両生類や爬虫類といった天敵の出現により、多産の道を選ばざるを得なくなった。多産の道を選ぶと、卵1つ1つは、小さくならざるを得ない。当然、卵の中の栄養分は少なくなる。すると発生途中で、胚が孵化せざるを得なくなってくる。卵の中の胚が早々に(未成熟状態で)孵化するようなったのが、完全変態の昆虫に見られる親と全く似ていない幼虫ではないか。こうした幼虫が成虫の姿に変身するには、1度徹底的に体をつくり変える必要がある。そのため必要になったのが、蛹ではないか…」という意見がある。
ここで最も興味深いのが、彼等は一体どうやってその能力を得たのかということだ。
例えば、毒だ。
毒と言っても環境や摂取物、生物の特徴によって生み出される毒の種類はマチマチである。
元々毒を持たない時点から毒を生成するに至った過程や細胞の変化はどう言ったものなのだろうか。
また、急に強い毒を生成出来る個体が突然変異によって生まれたのか、徐々に毒の強さが増していったのか。
身を守るために毒を使っている生物は、毒を使って捕食する生物への途中の段階なのか。
毒を持つパターンは2つあり、生物自体がその毒の影響を受けない種類の毒を保有する選択毒性と生物自体もその毒に影響を受けるために貯蔵器官に保有するものとがある。
毒1つ取っても種類や方法などと言った大きな違いから小さな違いまで様々ある。
現在の進化論は簡単に言うと「より優位で生存率が高い遺伝子を持つ個体が多く繁殖し、その数が蓄積されることによって進化が起こる」という見解のようだ。
「細胞は増える時に、自らの遺伝子をコピーします。このコピーですが、時々間違ってコピーされることがあります。この間違いを塩基置換(えんきちかん)といいます。また、コピー時だけでなく、何らかの刺激などで、DNAの配列が変わってしまう塩基置換もあります。塩基置換は致命的なときもありますが、なにも影響がなかったり、少し影響したりする場合があります。塩基置換は生物が環境に適応するのに、とても大切なことです。もし遺伝子が完璧にコピーばかりされていたら、環境が変化した時、その生物はそれに適応できずに絶滅してしまいます。」という内容にもうなづける。
だが、偶発的に遺伝子が書き換えられて悪影響が及んだ場合ってどうなるのか?
それが身体障害者や珍しい先天性疾患なのだろうか。

だが、本質はそこではない。
より根本的な問題、つまりその進化は何をもとにして達成する事ができているのか、だ。
個人的には、細胞の中に存在する本来は他種の生物であるミトコンドリアが「この世にある絶対唯一無二の設計図を理解し気が遠くなるほどの長い年月を経て進化を遂げているのではないか」と考えている。
毒の中にはその内容が類似しているものさえある。
つまり、ある種の設計図に基づいて進化する意志を持っているのではないかと感じるようになった。
分子構造の違いで全く異なる物質が出来上がったり、遺伝子の僅かな変更で何かしらの変化が起きたりするが、それは起こるべくして起きているのではないだろうか。
配列構造や繋げる種類によって様々な物質を生み出せる事が可能であり、その設計図を理解したときどのような事が起こるのだろうか。
微生物からすると人間などの大きな物質を判断する事は出来ないが現在の最小単位である素粒子、または原子や分子といったものを直感的に理解し物凄い速度で世代を重ねる事によってインフルエンザウイルスなどにしても進化の速度が異常に早いのではないのか。
もし人間がその知識を掌握した場合、まずガンなどの遺伝子異常系の病気で死ぬ事はないような気がする。
本来、正常な細胞がDNAに定められた時間を経過したあと自動的に死ぬように出来ているはずがその自殺機能が欠損し死なずに無限に増殖し周囲の細胞の栄養を吸収してしまうガン細胞も自殺機能の遺伝子情報を正常に書き換えてあげれば自然と消滅するのではないかと考えてしまう。
確実に避けられないのが細胞自体の衰えだろう。
栄養不足や睡眠不足などによる細胞の疲弊、タバコやアルコールやダイオキシンなどの有毒物質による細胞への損傷、電磁波や放射能、活性酸素などによる細胞への直接的なダメージは細胞自体の寿命が短くなる。
それでも元々の細胞自体の寿命に関しては避けることは出来ないだろう。

この世に存在する全てのものは最小単位である素粒子の塊であり、それらが原子(陽子、中性子、電子)や分子を形成し、物質自体はそれぞれの構造パターンによって性質が変わる物質になっているだけで、物質の温度はその分子などの動きが活発であるかどうかで決まり、物質の硬さは原子同士の結合力の強さで決まり、肌触りなどは物質の属性で決まり、色は原子や分子がどの可視光線を反射するかで決まる。
乱雑に言えば、全ての物質は素粒子単位で構成する事により生み出す事が出来るのではないかと思う。
だが、現在の技術ではそのような事が出来ないので、必要な物質を生み出す生物から採取する手段を講じている。
ここで1つの疑問がある。
なぜ、生物は『意思』というものを勝ち得たのだろうか?
元々は原子や分子が様々な結合パターンにより他種の物質を作り出し、その結合体の1つが生物である。
意思とは一体何なのだろうか?
微弱な電気信号で記憶情報を動かし脳が記憶を溜めておき、脳起点と感覚起点の両方から記憶情報をやりとりして学習機能で自分が優位になるように行動する、それが意思だと思うのだが、なぜこのような事が可能になったのかが知りたい。
元々、物質にはそういった能力が備わっているのだろうか?
感情はどの生物までが持ち得るのかという事に、「魚以上の生物」というものを見たことがある。
つまり、哺乳類、鳥類、爬虫類、両生類、魚類だという。
それ以下の無脊椎動物には感情はないという。
昆虫にはキノコ体という記憶情報を保持する場所があり、学習機能があると認められているが自発性がなく感情というものは確認出来なかったようだ。
生物でありながら筋肉や四肢を持たないばかりで植物でさえ感情や意思は持たないと思われがちだ。
人間は目に見える動作を確認して初めて「認める」ためだろう。
では石や水、空気などはどうなのだろうか。
石にも様々な種類があり、色や硬度には差が生じている。
物質が単純に圧縮され石になったり土になったりしているだけでそれらには同じ物質の結合体でありながらも生物とは一線を隔て、そこには意思など持ち合わせる事すら出来ない、のだろうか。
では、仮に人間を構成する物質で全く別の人間を完全に再現した場合、そこには人間と同様の意思は存在するのだろうか。
ゾウリムシなどの単細胞生物でさえ、危険な環境から遠ざかり、生きるために捕食し、子孫を増やすために分裂する。
菌類の中には単体では生きながらえる事が出来ないため他種に寄生し栄養を吸収し増殖をするものもいる。
つまり、彼等は単純信号だとしても自分が生き延びるためのプロセスを理解している。
単細胞生物まで来るとDNAの突発的組み換えなどが起きたりして電気信号を保持出来る器官が生まれ、わずかながら単純に受けた電気信号を保有しだしていき、次第に器官が大きくなり保有出来る情報量も増えて行えるプロセスが増えたり複雑になり、ミトコンドリアのように他種と共存する生物が加わる事でより複雑な回路を持ち、また互いに必要な物質を生成するようになり多細胞化して進化を遂げるのかと想像出来る。
では、生物と非生物の境界線は一体なんだろう。
突然電気信号のやりとりが出来るようになったのか、それとも元々全ての物質に僅かながらあるのか。
電気とは電荷の移動の事であり、電子や陽子などの素粒子固有の性質に依存し、電荷が移動出来れば電気は通る。
つまり、電荷が移動出来る物質には意思を持つ資格があるのではとロマン的に考えてしまう。
磁石などはトップバッターなのかも知れないと。
金属とタンパク質などでは性質の違いから進化の向き不向きがあるのだろうか?

こういう情報がある。
「強磁性体では隣り合った原子の間に磁気モーメントの向きをそろえようとする相互作用が働いている。そのため、各原子の磁気モーメントの向きが自発的にそろい、磁場をかけなくても磁化をもつ。これを自発磁化という。この磁気モーメントがそろっている領域は光学顕微鏡で確認できる程度の大きさであり磁区と呼ばれる。磁区と磁区の間は磁壁という徐々に自発磁化の向きが移り変わる領域で隔てられている。物質内のそれぞれの磁区の持つ磁化の向きはランダムに異なっているため、磁場をかける前の状態では、磁化は物質全体で見ると0となる。磁場をかけると磁場に沿った磁化を持つ磁区が拡大し、それ以外の磁区が縮小するように磁壁が移動する。その結果磁場に沿った磁化が打ち消されなくなり、物質全体として見ても磁化が生じる。ある程度より強い磁場をかけると物質内がただ1 つの磁区となるため、それ以上磁化が増えなくなる。この時の磁化を飽和磁化という。」
『隣り合った原子の間に磁気モーメントの向きをそろえようとする相互作用』、『自発磁化』、『磁壁』、『物質内がただ1つの磁区となる』と言ったキーワードから意思の表れではないだろうかと飛躍した考え方をしてしまう。
これらは生き方の違いなだけで、生物とは呼べないだろうか。
例えば、惑星だ。
地球は金属で出来ている。
そのため南極と北極で磁石のように磁場が出来ている。
地球は自転活動を行い、地殻変動や地震、マグマ、重力、雨や風、雲と言った属性が存在する。
人間が善玉菌、悪玉菌、日和見菌といった腸内細菌のそれぞれの活動を1つ1つ把握出来ていないように、また細菌が人間がどんな生物でありどういったプロセスを経てエネルギー補給をしているかなど知るはずもないのと同じように。
人間が進化するように、人間が100年位生きればその腸内細菌も生物学的能力が上がってくるのではないだろうか。
大腸菌などの菌類は2時間に1回の分裂を起こすらしいので人間が100年生きた場合の菌の世代数は43.8万にもなる。
人間が25歳で子供を産むとすると1095万年に相当するが、細菌は1→2→4→8と倍に増殖するため人間の進化よりも早いだろう。
人類の祖先がクモザルと分岐したのが4000万年前、テナガザルと分岐したのが1900万年前、オランウータンと分岐したのが1800万年前、ゴリラと分岐したのが900万年前、チンパンジーと分岐したのが600万年前と言われているので1095万年という期間が腸内細菌にどれだけ進化させる可能性を与えていることか。
それですら1人の人間の体内のしかも腸内細菌に限ってのことで、世界には60億人位いるみたいだからそれこそどの位の可能性を秘めているのだろうか。
アフリカなどのより劣悪な環境の方が進化する傾向にあると感じる。
そう思い調べてみた所、「以前アンビリーバボーかなにかで、食べなくても生きている人の特集をやっていました。水さえ飲まないという人もいましたが、中には、ジャムパンだけ、という男の子もいました。ジャムパンだけでは絶対に栄養が足りないはずなのですが、検査をすると、必要な栄養素はきちんとありました。何も食べていないおばあさんのほうは、体内年齢が20代(だったかなあ)といわれていました。で、それはオカルトみたいな話で終わったんではなくて、きちんと調べていました。その秘密は「腸内細菌」だそうです。腸内細菌が進化して、通常人間の体では作れない栄養を作り出せるようになってしまったらしいです。大変うらやましい話のようですが、件のおばあさんは、息子を失ったショックで食べ物がのどを通らなくなり、何日も寝たきりになった末、ある日突然変異で体調がよくなってしまい、今に至るのだそうで、生きる気力を失って絶食状態になったのに、食べなくても死なない体になってしまったなんて皮肉だ・・・といわれていました。多分この人たちと同じで、腸内細菌の突然変異ではないかと思います。」という情報があった。
地球にとっての人間が、人間にとっての腸内細菌と解釈出来ないだろうか?
その人間に地球の全てなど知り得る訳もなく、また動植物以外を生物としてみなす事が出来ないのではないかと思ってしまった。
もしかしたら腸内細菌も「その人が好んで食べる食材の一定のパターンを覚えていて、その食材をより素早くエネルギー吸収出来るように進化している可能性もあり、それらの進化は人間が『偉大なる進化』と叫んでいるものと同等である」可能性は捨てきれない。
となると、地球は宇宙空間の他の惑星や衛星と会話するように引力以外で何かしら影響を及ぼしあっているのだろうか。

そもそも人間が培った知識は誤認もありながら非常にごくごく狭く限られた範囲のものでしかない。
全てはアナログのように全ての要素が折り重なって1つの世界を形成しているが、人間はより専門的知識に専念出来るようにデジタルのように学術を区分けして物理学、科学、生物学、数学などと定義している。
だが、本質を知りたいならば全ての知識を総動員しなければ正解には近づくことはできない。
1つの専門的学術で結論を導き出そうとすればするほど、正解から離れていく。
それらを統括する総合学術が必要になってくるような気がする。
専門的な人間はミクロ的能力値は非常に高いがマクロ的観点では盲目的になりやすいと言える。
それぞれの知識を浅く知り、専門分野を統合して架け橋になる人間が必要だろうと感じる。
個人的には数学は非常に美しいと感じる。
知識遊びにも近く最も論理的要素が含まれている。
他の学術においては現実物質を元にしたガテン系というイメージがある。
何とかすれば、「そこ」に答えはある。
だが、数学はその答えが間違っているかどうか確実に判断が出来ない可能性がある。
この世は数学を中心とした社会で成り立っているため、数学を制するものは非常に大きなアドバンテージがあるが、彼等の多くは欲がなく最も純粋な人間に近い部類だと思う。

この世の設計図は、惜しげもなく目の前に転がっている。
ガリレオが地動説を唱えたように、エジソンが電話、電球、発電の原理を気付いたように、アインシュタインが光が時間基準という相対性理論を始めとする様々な理論を作ったように、だ。
努力で勝ち取る事の出来る「知識」という眼鏡で見ると山のように転がっている「驚くべき真実」を死ぬ前に沢山見てみたいものだ。
学生時代には気付きもしなかった学問の重要性、そして今現在その学問に魅了される日々。
願いが叶うならば、もう一度最初から学びたい。
それは資金的にも時間的にも非常にシビアな問題があるが、僅かながらも趣味で勉強していこう。
きっと贅沢せずに普通に生きていける程度の安定性がある条件があるのならば、そういった勉強にのみ生涯を捧げても良いかも知れないと本気で思える、それだけ没頭出来る対象物だと思う。

色々と調べている最中に、「ミトコンドリアが進化を決めた」という非常に興味深い洋書を知った。
簡易的に紹介しているサイトがあるので見てほしい。
ttp://d.hatena.ne.jp/benton/20080602/p1

他に、同じ人が書いている「正と死の自然史」というものと日本人が書いた「ミトコンドリアの力」という本を知った。
とても面白そうなので3本とも注文した。
色々と興味がありすぎて時間が足りないね。


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    2009

12.14

冬に向けての準備

冬に向けての準備を始めだした。

現在の東京の気温は最高10度、最低7度のようだ。
室温は19~21度の間を推移している。

俺は去年からエアコンの暖房を使っていない。
部屋が寒くなる原因の1つに窓ガラスからの外気が大きいと思う。
なので、去年から窓ガラスに断熱シートを貼るようにした。
これでだいぶ寒気を防ぐ事が出来ている。
断熱シートを窓ガラスに直接貼ると剥がす時に汚くなるので、窓の縁にテープで貼っている。
また、去年から暖房器具としてデロンギのオイルヒーターを購入した。
本当に寒くて耐えられなくなった場合に少しだけ使うようにしている。
オイルヒーターのメリットは、優しい暖気、乾燥しない、風が出ない、音がほとんど出ない、器具の上方に洗濯物があるとあっという間に乾く点で、デメリットは部屋が暖まるまで1~2時間位かかる、電気代が非常に高い、古来日本家屋のような密閉度の低い部屋には向かないという点だ。
オイルヒーターの温かみはとても気持ち良いが、電気代が高いのが難点だ。
どの位高いかというと、1日8時間(寝る前3時間+寝ている時5時間)で月18000円だ。
残念ながらあまり使っているイメージはないのにこの費用は正直驚いた。
費用を気にしないで質だけを求めるならオイルヒーターは最も良いとは思う。

だが、基本的に暖房器具には頼らないようにしたいので衣類関連で頑張ってみた。
まず、去年はインナーにアンダーアーマーのコールドギアを着てシャツを2枚位着てナイキのジャージ(上下で14000円)、下はアンダーアーマーのスパッツとナイキジャージに靴下って具合だった。
今年は、アンダーアーマーのコールドギア「メタル」が出たので早速購入してみた。
1着11000円位のものでとても暖かくて最高だった。
アウトレットでセールしてたので覗いてみたら、なんと1着4200円だったから3着買った。
スポーツ時にも使えて凄く便利!
今の所、今年買ったものはコレしかないがゆくゆくはモコモコスリッパみたいなものも買いたいし、山系ブランドで出している手袋で手を暖めたいなぁって考えている。
あと、去年から使っている湯たんぽが結構良くて助かっている。
活動中に寒い時はお湯を入れた湯たんぽをシャツで巻いて膝の上に置いておくと結構暖かい。
ベッドで使っているのがちょっとヤバくて薄いタオルケット1枚と薄い毛布1枚しかない。
去年使っていたダブル布団かけがあるのだが、まだ洗ってなくて使えていない。
この気温じゃ乾かないからコインランドリーで乾かしにいくの面倒だなぁって思ってて後手後手に・・・
ユニクロのヒートテックがどの程度暖かいのか興味あるが、見た目がヤバ過ぎる。
まぁ、部屋着だから良いんだろうけど。

去年は仕事から帰ってきたら室温5度なんてザラだったからこれからかなり寒くなるのかと思うとガッカリするね。
暑さは耐えられるけど寒さには異常に弱いんだよね。
今年はオイルヒーターは使わずに済みそうだけど15度を下回ってくると結構辛そうだ。
だけどやっぱり窓ガラスへの対策をもっと何重にも施す方が確実に効果が出そう。
例えば断熱シートを何重にも貼ったりスポンジのようなものを敷き詰めたりね。
何が効果出してるのか調べてみよう。


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    2009

12.10

自業自得・・・


ウケを狙ったアナウンサーが泥にダイブして頚椎骨折後、あわや溺死寸前というお粗末な映像。
自分に振られたとき断る選択肢もあり、負ける際に普通に落ちる選択肢もあっただろう。
なぜ、彼がここまでして垂直にダイブをしたのかは人生経験の浅さだとしか言わざるを得ない情けなくもお粗末過ぎる一部始終。
これによって彼が溺死しても、「しゃーねーわな」で終了でOKだと思う。
命を賭して演出した「泥ダイブ」として語り継がれるだろう、彼も本望かもしれない。
人体のモロさと後遺症の恐怖を全く理解していないバカだとしか思えないが、きっとこれによって彼の人生経験は変わり、他の誰よりも慎重な行動を取るようになった事だろう。
高い授業料で同じ過ちを犯さなければ「良し」と前向きに考えるしかない。

だが、「笑い」を取りたいがために冷静な判断が出来なくなっているこのバカ女アナを含め、ここにいた3人には人間としてのモラルが欠けていると思えた。
彼の肺には恐らく泥が入った事だろうし、ダイブ後に頭を揺らされた痛みはそれ相応だと思う。
というよりも強すぎる圧迫感で逆に感覚がボヤけて重く熱く力が入らなくて気持ち悪いって状態かも。
ババア(よくみると男)、ブリッジさせすぎだろ。
何が目的だ!
ここまでブリッジして疲れたとかで放したら頚椎が地獄だな・・・
折れてんのに最悪顔面叩き付けの刑だぞ、考えただけでも恐ろしい。

追記:彼のブログを読んでみると、本質を理解し健康である事の素晴らしさに気付いたようだ。あと少しでも早く気付いていたらまた違った人生だったろうが、誰しもが絶望的な状況に追い込まれて初めて気付くのが健康の大切さだ。絶望を知った者だけがわかる「普通に生きていける喜び」はいい歳こいてスリルが欲しかったという理由から万引きをするカス老人の平和ボケ振りとは対照的だ。きっと彼は全ての事柄が新鮮であり暖かく感じられた事だろう。その気持ちを忘れずに生涯を送ってほしい。
私たちけい損(けいつい損傷)患者の間では、その怪我を負った日を“誕生日”と呼びます。

2008年6月14日。

思えばこの一年、これほど深く自分自身と向き合い、“生命”について、“人生”について考えた時間はありません。

あれから一年…。

いくつもの奇蹟の連鎖と、皆様方の温かい励ましのお陰で、私もようやく一歳の誕生日を迎えようとしています。
皆さんに繋いでいただいた大切なこの私の命をいかして

少しでも多くの方に恩返しするには

まだ多少時間はかかると思いますが、毎日力の限りリハビリに精進していくしかないと考えています。

どうか今後とも変わらずに叱咤激励のほど宜しくお願いいたします。

一年ぶりのブログの最後になり恐縮ですが、

私の入院している福岡の専門病院の中庭に

《カンパニュラ》が満開になりましたので添えさせていただきます。

花言葉は『感謝』

再び仕事復帰の第一歩となるブログ更新が果たせたことを心から感謝します!

そしてこの一年、ご心配ご迷惑をおかけしたすべての皆様に“ありがとう”“ごめんなさい”
そして、
 “ただいま”

柳田哲志



これは非常にショッキングな映像だ。
相手は、あのウツボ様ですよ?と・・・
むしろ、こんなにも懐く生物なのかと驚いたほどだった。
警戒心が強く用心深いウツボが餌に釣られてこんなに姿をあらわにするとはね。
懐くまでメチャクチャ早いじゃん。
このウツボが敵無しだったのも大きいのかもしれないな。
これだけ大きなウツボを見て恐怖を感じないってどんだけイッるんだか・・・
ヤクでもキメてたとしか思えないな。
まぁ、餌だと間違えて喰らいついたんだろうが、中々取れなくて「オラッ」と噛んで指切断か。
さっきの餌よりも美味いっす、アザーーーッスと言ったところか。
足の指を移植するとは、さすがに親指がないと支障を来たすのね。
背に腹は代えられないよな。


こんな死に様は嫌だなぁ・・・と思った動画だ。
著名なダイバーであるユーリ・リプスキー氏がエジプト・アラブ共和国のブルーホールでなぜか物凄い勢いで潜っていき、死を遂げてしまう。
なぜ91mも潜ってしまったかは未だに謎に包まれているが、ここエジプトのブルーホールでは大勢のダイバーが命を落としている事でも有名だ。
別の動画で潜っていくと死んだダイバーの器具が放置されている状態が多々あった。
ここの魚達は人間は美味しいと知っているだけに引きずり込まれた可能性も捨てきれず、またダウンカレントや何かトラブルがあったのだろうとも言われている。
もうカレントって言葉聞きたくない。
人間は海では無力であり海流に流されるままされるがままだ。
溺死はツラい死に方だが、深海での溺死は凄い孤独感があっただろう。
車を運転しているというのも非常にリスキーな行動だが、ダイビングというのもまた非常にリスキーな行動である事を再確認させられた。
オープンウォーターなんて本当に恐ろしいよな。
まず助かる事もない状態で確実に迫っている死だけがハッキリと分かる。
特に夜の海が恐い・・・


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    2009

12.08

「信用する」という言葉の意味

人が相手を「信じたい」ときに使う言葉、「信用する」について疑問がある。

FXや株などのように資金運用をしていると気付く事がある。
それは、「信じる」という言葉だ。
「誰々が言ったから信じる」や「○○さんだから信用する」と言う事をよく耳にする。
資金運用などのブログで、不確定要素について「信じる」と度々使っているのを目にする。
俺はこれらの事象についてとても強い違和感を感じずにはいられなかった。

なぜ、いとも簡単に信用出来るのか?

そう思った。
信用とは本来、重要であり非常に重い言葉なのだ。
色々と見たり聞いたりしていて、「信用出来る」のではなく「そう信じたい」、「大丈夫だろう」という楽観的期待値が含まれている事が多いのではないか?と思うようになった。
俺が思う「信用」とは、長年その人間を見続けてきて言動共に想像出来る範疇でその行動を容認でき、例え裏切られたとしても我慢出来る場合に使うものだと思っている。
大義ではそれ以外を信用とは使いたくない。
社会では人間的要素を排除するため、「信用」は過去の実績の結果であり、裏切られた場合に損を被らないように「担保」や「保証人」を要求する事が一般的だ。
だが、人間関係においてそれは非道徳的なとらえ方をされる。
対個人においては「信用」の意味する言葉の重さを非常に痛感するのだ。
つまり、泣き寝入りせざるを得ない状況が発生しやすい。
信用という言葉は、信用する側が使う言葉であるにも関わらず、信用される側が「信用してほしい」や「信用出来ないの?」と使う事がよくある。
そういう人間が吐き出す「信用」はその場凌ぎの軽いものが非常に多く、またその信頼度は非常に低い。
これは経験論だ。
その時さえ良ければあとはどうでも良いと考える人はよくこの言葉を使いたがる。
要は、自分さえ良ければいいという自己中な人間だ。
「信用」という言葉の重さを知っている人間は絶対に自分からこの言葉を口にすることはない。
なぜなら、それは相手に押し付けるものではない事を知っているからだ。

「信用」する側のあるべき姿として以下の内容を理解しなくてはならない。
・裏切られる事を覚悟すること
・その際のリスクマネジメントをシッカリすること
・全ては自己責任とすること

つまり、信用する場合は裏切られても耐えられる程度の事柄のみとする事が良いと思う。
俺は25歳位の時に55万円を貸した事があるが、返済予定とはまるで異なる行動を取られた事があった。
毎月返すと言っていたし返済期間も長めに1年にしてあげたのにも関わらず返ってきたのが3年後だった。
この時、「貸した金は返ってこないと思った方が良いよ」と言われた事があり、友達でもそういう経験をした人が何人かいた。
こちらが良心的な行動をしようが相手には関係ない事が多く、そういう人間はその時の恩は「忘れている」ようだ。
そして、次の危機に四苦八苦していて「そんなもん過去のことでしょ」とでも言うかのような態度を平気でする人がいる。
リスクマネジメント不足と無努力行動が自分の立場の危機を生み出しているのにそういう人間は気付く所かそういった努力を非常に嫌う傾向が強い。
だからそういった危機を無限に生み出しているのだが・・・
しかもそれだけ待たせたくせに気持ちとしての利息も何もない。
唖然としたね・・・
俺も親と友達に一度ずつ金を借りた事はあるが、必ず利息を払っていた。
まだ金が無い頃に25万円程度を3ヶ月借りて2.5万円多く払ったりって感じだった。
感謝の意と自分への戒めとしてだ。
こんなクズのような行為を慣れてはいけないと思ったし、それが本来あるべき姿だと思った。
もう二度と借りる事も貸すこともないと思っている。
借りに来ても「仲間とは金のやりとりはしない」と言うようにして、しつこい場合は「街金とかに行けば?」と言う事にしている。
一般人や友達だと取り立ても甘く馴れ合いや甘えが生じてだらしなくなるからだ。
人に何かをしてもらうならそれに見合った行動をする義務があると思うしその逆も同じ。

金融関連の動画を見ていると、一般投資家などがやはり「○○さんを信じています」と言うシーンがあった。
バッカじゃねーのか?と人格を疑ったものだ。
俺的には「信じるかどうかは貴方の勝手だけど裏切られてからギャーギャー騒ぐなよな?」と思った。
それによって資金の半分以上を失っても仕方ないと思えないなら軽々しく「信用」という言葉をクチにするなと強く感じる。
なぜなら、大の大人がガキでもないのにアレやれコレやれと言われるがままに行動するなと言いたいからだ。
大人ならば自分の判断で行動出来る訳だし、長い経験からどうすれば良いかはわかっているからだ。

5階にいて、「その窓から飛び降りたら口座に1000万円振り込まれるよ」って言われたら飛び降りますか?

するはずがないだろう。
なぜなら、「結果がわかっている」からだ。

例えば、著名なアナリストが「アメリカ経済は家を担保とした借金をして物を買いまくるバブルがあったが、今では内需が非常に低いからこれからアメリカは暗黒時代に突入し、米ドルが80円を割り、今後の見通しが立っていないからこの一ヶ月から一気に円高が加速する」と言っていたら、どうするか?

それを参考情報と捉えて自分で判断する人もいれば、信用してその通りにする人もいるだろう。
ここで問題なのが後者の場合だ。
これは「自分の思考能力では判断出来ないから凄いだろうと思う人の意見に楽観的期待値を含ませた」だけにすぎない。
それでいて裏切られたら発狂しだすとしたら目も当てられない。
自分ではわからないのに「勝手にそうあって欲しい」と思って自分で判断した責任を負った行動をとり、良ければ「ニンマリするか自慢するか」で悪ければ「散々批判する」というのは非常に惨めである。
強く勧められたり強要されたりと、どんな理由であれ「最後に判断を下すのは自分」である事にかわりはない。
俺は「マンションなどの連帯保証人」になる行為が信じられない。
連帯保証人というのは俺が「借りた」または「買った」と同意のリスクを負っているにも関わらず、一銭の得もしないという理解不可能な状況。
まだ、自分の子供なら納得出来るかも知れないが、それ以外の人間のために責務を負うのはバカげてる。
ちゃんと払うかどうかを天(雇用と景気)に任せて凶と出れば数千万円の借金を肩代わりとか意味わからん。
残ったマンションだって中古物件となり価値もダダ下がりで、今のような大不況ではもはや資産価値は半分程度かどうかだろう。
まぁ、そのリスクを商品化して肩代わりシステムがサブプライムローンなのだが・・・

「信用する」という事について、今一度考え直してみるのも良いと思う。
悪いまたは最悪な結果が出て騒ぎ出す位ならば、「信用するな」と言っておきたい。


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