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    2008

01.14

人間として生きる 動物として生きる

人間の生き方には様々な形がある。
しかし、それらは「人間として生きる」か「動物として生きる」かに二分出来ると考えられる。

説明する程の内容でもないが、俺の考えを書いておく。
「動物として生きる」というのはそのままの通りで本能のまま生きると言う事だ。
努力などの苦しみが付きまとう行動は一切せずに信念もなく、ただただ生きるために生きている人間の事だ。
飯が食べたいから食べ、寝たいから寝、ヤリたいからヤる。
自分の行動によって他がどうなろうがまるで知ったことではなく、自分のしたいように生きる。
まさに”動物”そのものだ。
「人間として生きる」というのは信念を持ち、目的に向かい努力し、苦行も行えると言う事だ。
とても人間以外の”動物”には不可能な行動である。
人間ですら出来ない者も多いだろう。

インドの僧侶は非常に強い信念を持っている。
悪政に反発するという意味で、火の中で座禅を組んで焼死した人が僧侶がいる。
誰もがそのツラい苦しみから逃げ惑い、醜態を晒す程の激痛である。
彼はそれに耐えて座禅を崩さなかった。
最期に崩れ落ちたが、彼は既に命を全うしたのであった。
その映像を見たとき、自分の中で何かが変わった。

俺はこのままで良いのか?
彼があれだけの精神力と信念を持った行動が出来るのなら、全ての人間が出来るはずなんだ!と思った。
「出来ない」と思った時点で一生経っても出来る事はないだろう。
彼が自分自身の命を使って最期に言いたかった事を感じ取らないままにする事は罪だと強く感じた!
俺はツラいと思うこと自体、非常に少ない方だと思うが、それでもツラいと思った時、いつも彼の事を思い出す。
投げ出す事はいつでも出来る。
だが、頑張りぬく事は今じゃないと出来ない。
一度逃げ出すと二度と最後まで頑張る事は出来ないと思っている。
人間というのは、甘えを覚えた時点でどこまでも奈落の底へ落ちて行くものだ。
それには例外はない。

今日、素材を売っている店に行った。
そこで見たくも無い物を見てしまった・・・

無造作に毛皮が売っていた。
毛皮1

中央にヘコみがあり、ここに顔があったのだろう・・・と想像出来るようなものであった。
触ってみた。
とても柔らかく暖かかった。
今も生きているんじゃないか?とさえ思える程だった。
それは本当に今も生きていると思えた・・・
俺は自分の家で飼っていた犬を思い出したし、彼女が飼っている犬を思い出した。
この子にも性格があり、個性があり、尊重すべき命があっただろう。
この子がその後に子供を作り、より多くの子を残しただろう。
この子にも生きていきたいと言う強い気持ちがあっただろう。
そう思っていたら涙が出てきそうになった。
毛皮2

他にも大量に並べられていた。
毛皮3

毛皮を剥がされるとき、どう思っていたのだろうか・・・
どれだけの激痛を感じていたのだろうか・・・
最期はどうやって殺されたのだろうか・・・
この毛皮にはきっとその時の苦しみや悲しみなどの気持ちが乗り移っているだろう。
触って何かを感じるかも知れないと思って触ってみたが、それは全くなかった。

命はなんて安いんだろうか・・・
この値段、中国産だと言う事だけは間違いないだろう。
安い命の価値

うさぎの毛皮がたったの1050円だ。
たったの1050円!
たったの1050円で惨たらしい殺害をされたのか?
たったの1050円のために殺されたのか?

人間は金欲しさのためにどんな事でもしてしまう地上で最も残酷な生き物だ。
この世のほとんどは、他種の壮絶な死の上に成り立っている。
「生きるため」のものなら俺は何も言えない。
だが、「嗜好」や「贅沢品」などと言った言わば必要とまでは言えない物においても圧倒的な命を踏みにじり、終いにはいらないと言う理由で無かったかのように処分してしまう。
何のために命を失ったのか・・・理解すら出来ない事が平然と起こる。
そして、それについて何も感じないのが「当たり前」と認識している人は、異常としか言えない。
他人や他種の犠牲の上で「楽」に生きている事は止められない人間が多い。

俺も未だに知らない事は多いだろう。
だが、知った時点でそれについて正面から向き合い、強い精神で正しい方向へ歩む努力をしている。
俺が既に踏みにじった命を元に戻す事は叶わない。
過去に犯した過ちは修正する事は出来ない。
だから、これから過ちを犯さないようにすれば良い。
感じた時、知った時、理解した時に行動に移し、同じ過ちを繰り返さなければ良い。
それが今までに踏みにじった彼らへの供養であり、懺悔である。
俺一人が変えた所でたかが知れている。
だが、俺が行動する事によって他の誰かが感化され、同じように気付いてくれるようになればと思い、俺は行動するようになった。
それが彼らへの償いという名の義務だと感じたからだ。
口で伝え、ネットで伝える。
今の俺に出来ることはこの程度だが、それでもやらないよりはマシだ。
ゼロよりは1の方が良い。
ゼロよりは2の方が遥かに良い。
良化すること自体に意味があり、影響度は問題ではない。
感化してくれた人がさらに行動を起こせば、非常に大きな力となる。
最初は誰かが始めた行動が、いつかは大きな波紋となるのであれば、1人で始めたなどという要素に疑問を抱く事はナンセンスだ。

ヨーロッパで毛皮を使った物を身に着けているのはモグラだ。
向こうは毛皮製品に対して非常に強い拒絶反応を起こす。
日本のようにレベルの低い国では、未だに毛皮が高級だと勘違いしている人間が非常に多く、芸能人がこぞって身に付けている。
レベルの低い人間が席巻しているから当然の結果だろう。
神田ウノに至っては、牛革が欲しいために「これを作るのに、牛一頭殺しちゃいました~」と言って、会場はドッと笑いが起きた。
ヨーロッパでは芸能生活に支障が来たす内容だが、全てにおいて感心の低い日本ならではの逸話だ!

ここの特定非営利活動法人を人に教えてもらった時、「俺が気付いてきて関心のある内容が非常に多い!」と思った。
Animal Rights
ファー、動物実験、畜産、動物問題、ベジタリアン・・・
俺が近年非常に強く感じている問題の多くがここにはある。

少し前にデモをやっていたようだ。
毛皮反対デモ行進
こういう手もあるが、CMなどで実態を全て晒す事の方が絶大だと感じてしまう。
関心が低いと言う事が、いかに悲しいもので人間として次元が低く恥という事を伝えて行く事が重要だと感じた。
それが常に流れていれば、最初は違和感があってもそれが当たり前にスリ変わって行く気がする。

LUSHという会社が、アニマルライツの動物実験反対活動の助成金を出したようだ。
LUSH
この会社もまた非常に強い正義の信念があると感じた。
寄付一覧

世の中には強い信念の元に行動を起こせる人がいる。
俺は彼らを見習わなければならない。
彼らの力になる事は、確実なる一歩である。
自分の事だけを考えて生きていくのは誰にでも出来る最も安易な行動だ。
人間として生まれて来たとき、何かしらの使命を託されたのかも知れない。
長くまでこれを読んでくれたあなたの心に一雫の記憶として残ってくれるだけで幸いだと思う。
俺はこれらの問題について考え続けるようになって半年以上が経った。
考え方は徐々に徐々に変化していき、過ちが非常に多いと感じるようになった。
俺は一生この問題と向き合うだろう。
それが人間として生きることだからだ!

毛皮はこうやって出来る



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