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    2008

12.12

自分に正直になれ

12/12 0:55

一週間程前の事だった。
日が変わろうかという時刻に差し掛かったかどうかの話しで、電車を降りると目の前の階段を降りて来る人がいた。
20代位の外国人で、一生使うようなグリップのついた銀の松葉杖をついていた。
身体が先天的障害である事はすぐに理解出来た。
彼は電車が来た事に気付くと急いでかけ降りて来た。
それはいつ転んでもおかしくない位に腕に負担をかけながらガッチャガッチャと降りていたので見ていて凄く危なっかしかった。
地面までまだ数段あったので落ちて顔を強打すれば、顔が陥没してもおかしくはなかった。
その紙一重の境界線は杖の先と階段の摩擦指数だけだ。
電車は無情にも発車を告げる警報を鳴らしていた。

明らかに間に合わない。

でも彼は階段を降りてからも必死に走っていた。
彼がドアまであと僅かという所まできた時にドアは閉まった。
深夜だから勿論駅員はいなく、運転手が全権を握っている。
そして俺たちがいる所は最後方の車両だから、先頭車両にいる運転手が彼に気付くかどうかは微妙なところだったのだが、俺はそれを一部始終見ていて心の中で何か強いものを感じた。
すぐにわかったのは、強い怒りで車掌に怒鳴り散らしてやりたいという感情だった。
彼が走っている時に頭の中では「デカい声を出してドアを開けさせておくべきだ」と何度も何度も考えていた。
ドアが閉まった時に走って行ってドアを思い切り蹴って「開けろやボケー」と怒鳴りまくるべきだと頭の中では何回も考えていた。
だが、強く思っただけで俺は何の行動も出来なかった!
ただ、それを見ているしか出来なかった!
足の甲を火傷して皮がめくれてブーツの硬い部分が患部に当たっていて多少足を引きずるように歩いていたから走る事など出来る訳もなかった状況がその一因である事は間違いないのだが、それでも自分に納得が出来なかった。

閉まったドアは車掌が気付いたのか再び開き、彼は乗車する事が出来た。
それでも「良かった、一件落着だ!」と思えず、それは単なる結果論に過ぎないし、俺が行動を起こせなかった事とは何ら関係がない。
ただ単に自分に都合良く解釈するだけの材料にしか過ぎず、それがまた自分への情けなさに一層拍車をかけた。
なぜ、こんな気持ちになったかが理解出来なかった。
努力など出来そうにもないアカの他人風情になぜそんな感情が芽生えたのか…
家に帰る間、ずっと考えていた。

彼が急いでいる間、大量の乗客が降りたが俺と同じように彼を心配して見ていたのは一人しかいなかった。
人間など所詮はそんなものだ。
他人などに興味を持ち合わせていないのが現代人だ!
ただ、50歳を超えたようなおばさんには比較的親切な人が多く、見て見ぬ振りをする人達が行き交う中、足を止めて助けたりする光景をよくみかける。
そう、ごく少数だが、優しい人はどこにでもいるもので、俺はよく物を落としたり忘れたりするのだがそれをわざわざ渡すためだけに走って届けてくれた人が何人かいた。
最も身近にいる彼女でさえ外にいる時の俺は怖いらしく、そんな相手にでも優しさを分け与えてくれる。
そしてすぐに立ち去ってしまう。

「ありがとうございます」

たったそれしか言ってあげられない。
その言葉にそれだけの価値があるのだろうか?
言葉なんて安っぽい。
誰でも2秒もあれば言い切れてしまう程ちっぽけなものだ。
だからこそ、心を込めてお礼をする。

10分程考えた結果、ある結論に至った。
畜産動物の命を救いたいと思う気持ちと同じものだ!
畜産動物、つまり完全なる弱者であり、その弱さは自分の意思に関係なく、そしてその時を必死に生きる事に全力を注いでいる。
彼に感じたのは、ハンデを負っているために行動そのものがツラく大変なのにその状況に負けず、その揺るぎない真剣な目に何かを感じたのかもしれない。
自分の状況に諦めていなかった。
その目には強い気持ちが感じ取れた。
「菜食のすすめ」に出て来た死に行く豚が最期に残したつぶらな瞳が訴えたかった想いと被ったのかもしれない。
きっと彼がハナから諦めていたなら、彼に何かを感じる事はなかっただろう。
また、外国人だったと言うのもあったかもしれない。
俺は中学の夏休みに一人でアメリカに1ヵ月間ホームステイした事があって異国の地では不安になる事もある。
英語力がある訳でもないからギリギリ会話が出来るかどうかだった。
一人でモールに行こうものなら不安と緊張が常に襲いかかる。
俺は童顔だった事もあり、アメリカ人にはよく小学生に間違われた。
買い物をした時には「一人で来たのか?」と聞かれ、「そうだ」と答えたらボラレた事もあった。
そういう経験から外国人には親切にしたいと思う傾向がある。

俺は意外な自分に気付いたが、その唐突な感情のまま正しい行動を起こせなかった事は今もなお恥だと思った。
もし、運転手が近くにいたり、知り合いだったり、(ラジバンダリ…いやいや)彼と俺と運転手だけならデカい声を出す事に何の抵抗もなかっただろう。
デカい声を出して助けても外見にミスマッチで意外だなぁ~って注目されたり、しかも結果的に失敗に終わったならマジでダッセ…って思ってしまう自分を想像しまった。
だが、その瞬間は二度と返ってこないのだから、ためらって行動を起こさないのは非常に恥じるべき事だと思った。

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