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    2007

10.07

ベジタリアン

ベジタリアンになる理由は様々だが、そんな彼等には同志として強く共感を覚える。
健康目的のため、動物愛護のため、宗教信念のため、勧められたため、既にベジタリアンをしている人の考え方に共感したため・・・

俺の理由は動物愛護のためで、その考え方についてはベジタリアン宣言で既に書いている。

日本ではベジタリアンというだけで好機の目で見られる。
ベジタリアンというのは色々な意味で精神力や信念がないと続ける事は困難である。
俺はまだ始めてから3ヶ月半程度しか経っていないが、さして困ることはない。
ベジタリアンになってから幾ばくか変化があった。
・体調管理がし易くなった
・肉を食っている頃から比べて太りにくくなった
・誤って肉を食べてしまった時に下痢気味になるようになった(エキスでも濃度によっては起こる)
・より快便になった気がする

そして最も大きかったのがこれだった!
・ベジタリアンになったという自覚による精神力の強化

「強い信念が自分にはある」という明確な意識が、より自分の精神力を強いものにしていると言うのがハッキリとわかった。
これはベジタリアン精神に関したものではない。
全体的な考え方にもいえる事だった。
全国にいるベジタリアン精神を持っている人は共通の悩みがあると思っている。
それに関しては今更言う必要もないだろう。
しかし、互いが互いに切磋琢磨して、より良いベジタリアンライフが送れるインフラを構築していければもっと過ごしやすくなると思っている。
ベジタリアン精神を持ったレストラン経営者や大企業の社長が増えれば、もっと日本でのベジタリアンライフが送りやすくなるだろう。
ベジタリアン商品を買う事やベジタリアン商品を扱っている店でなるべく買い物をする事で、ベジタリアンライフを送りやすくなる事に繋がるし、ベジタリアン化計画に協力をしていると言えるだろう。
企業も収益が上がれば拡大もしやすくなる。
しかし、収益が見込めないならばベジタリアン化を断念する他なくなる。
それはつまり、ベジタリアンライフを快適に送るための希望の星を消してしまうということになる。

消費者は"安全でおいしく安い"物を望む。
しかし、実際には"危険で作られた味で安い"物が高い需要を誇るのが現実のようだ。
少し考えて見て欲しい。
農薬を使った方が農家としては楽で綺麗で苦労しないが危険な物が作れるのだ。
当然、楽な農薬を使う方に需要は集中する。
だが、一部で消費者に安全な物を届けたい一心で農薬を使わなかったり、使っても頻度を減らしたり、なるべく毒性が薄いものを使ったりと努力を惜しまずに毎日毎日苦労をしてまで野菜や果物を生産している農家がいる。
そういう方法で生産された野菜や果物は、"見た目が悪くて高くて数が少ない"物として世に出回っている。
そして、消費者は「健康を考えると良いんだけど高いからねぇ」と言う。
良い物は高いという常識が理解出来ていない。
農薬使いたい放題で農薬漬けの虫も寄り付かない見た目がピカピカな物が200円で、本当に苦労をして農家自身でも食べる事が出来る位のクオリティの高い物が350円で売っていたならば、俺は350円など安いと思える。
一毛作ならば365日分の努力を、二毛作ならば182日分の努力が上乗せしているだけだ。
差額が150円で365日で割ると1日の努力が1.7円程度だ。
1日に1.7円あげるから農薬を使わずに手作業で虫を採ったりカモを放したり防護ネットなどで対策打ったり広い土地を見回ってって言われたら、あなたやりますか?
俺はたった1.7円程度のためだけにそんなことは到底出来ない。
正直、その差額が努力料ならば安い位だ!
「金と健康どちらが大事?」という質問の答えで、「金」というのが現状のようだ。
実際に農薬を使わなかったり、牛豚鶏の健康状態を考えたり、国産にこだわったクオリティの高い商品だけを扱ったりしている企業の儲けはほとんどない!
むしろ、値段が高いと言う事だけで廃業や安くて悪い商品の扱いに方向転換する事を余儀なくされているのが現状だと知った時、とても悲しくなった。
食物の内容に気を遣える人間はレベルが高いと俺は思っている。
尊敬出来る対象である。
儲けなど考えずに良い食品を世に出したいという信念から動いていても世間では冷たい目であしらわれる結果となる。

金とはなんだ?
溜め込んで何に使う?
なけなしの溜め込んだ金で娯楽を楽しむのか?
マンションを買うのか?
その蝕まれた体で将来は安全だと考えているのか?

こんな事を考えてしまった。
余りにも忙しい人間が、「金で時間を買う」という事がある。
時間は買うが、健康は買うことはないのだろうか?
中国では富裕層を中心に「金で健康を買う」という行動を起こしている。
健康というのは目に見える物ではないから、実感がわかないのだろう。
それは仕方ないと思っている。
実際に若いうちは何をしてもヘッチャラだ!
若いうちにガタが来ていたら長生きは出来ない。

沖縄を中心に高齢化が進んでいる。
80歳などまだ若い!
100歳位でも生きている。
ここで1つの疑問が出た。

「何でそんなに長生き出来るの?」

俺はずっと思っていた。
そして超高齢なのに健康で元気だ!
なぜ?
もちろん、遺伝子や風土も関係しているだろう。
そして1つの結論に気付いた。

「本来、人間はその歳まで生きられる設計なんだ!!」

じゃ、何で半分程度の50歳や60歳で病死してしまうのか?


つまり、食べている物なのだ!
食べている食物で体を形成しているのは間違いない事実だ。
強い毒を飲めば死ぬし、弱い毒を飲めば体調を崩す。
それは摂取した食物が直接体に取り込まれているからだ。
長生きしている人は、大抵自給自足やそれに近い環境にある。
農家は「商品用の作物」と「自分たちが食べる用の作物」を作り分ける。
農家の人が言っていた。

「商品用なんて危険過ぎて食べられる訳がないよ。都会の人たちはあんなものを食べているんだから信じられない」

生産現場を見ている訳でも農薬の毒性を理解している訳でもない。
農薬を使って殺人することは容易い。
実際にそんな事件もある。
要は濃度を調節してるから大丈夫だ!と言っているだけに過ぎない。
致死量が1gなら、1mg程度なら死にはしない。
そう、死にはしない!
健康など知ったことではないのが今のやり方だ!
要は死ななければ問題ないのだ。
蓄積して数年後、数十年後に死んでも「XXX病」や「XXXガン」という形で現れるだけだ。
誰も農薬や添加物による被害とは思いもしない。
理解することすら出来ないのだ。

「あぁ、運が悪かったんだ!」

そう言って体を切り刻まれ、数十万~数百万の治療費を払い、入院を余儀なくされる。
しかし、それは運ではないのだ!

『何の危険物質を摂取したか?』

その要因が大半を占めている。
遺伝的疾患や環境的要因も考えられるが全国で共通して起こっている事を考えると、一部の固有的環境疾患という要素は限りなく少ないだろう。

かく言う俺もこの事に気付いたのは、つい最近だ!
ようやく28年かかって気付く事が出来た。
これを言って「バカじゃん!」と笑う人もいれば、呆れる人もいるだろうし、何も感じない人もいるだろう。
それはそれで別に構わない。
記事として書く事によって、それに気付くキッカケになるのならば、書く事自体がとても重要なのだ。
俺も微妙に外れていて、本当の真実がさらにその奥に確実に存在していたとしても、それについて考えることすらしなければ真実に辿り着く確率は限りなく0%だっただろう。
間違ったとしてもいい、それが逆方向に進んでいたとしてもいい。
考える事や行動する事がとても大事なのだから!



俺は今まで透明で見る事が出来なかったベジタリアンの扉を開ける事が出来た。
そして、その中にある更なる情報の扉を見る事が出来た。
ここで書いたのはその中の1つの扉だ。
このベジタリアンという考え方は、ベジタリアンにあらず!
要は考え方なのだ。
世の中には幾万という真実が惜しげもなくその辺に転がっている。
誰にでも見る事は出来て理解する事は出来る。
ただ、透明なだけだ。
気付いた人が発言することによって、一生気付くことも出来なかった事実に気付ける事が出来るようになる。
理解されることなど前提ではない!
考え方は存在する人間の数だけある!
まさにそれ自体がアイデンティティだ。
10cmの白いボールを「10cmの白いボール」と認識している人もいるし「白いボール」と認識している人もいれば、「赤いボール」と認識している人もいる。
それは個人の勝手だ。
しかし、事実は「10cmの白いボール」である。
透明であるがために気付かないとても重要な真実は俺の10cm目の前にもある。
まさにエジソンやアインシュタインは大天才である。
彼は10cm目の前にある透明だった重要な真実の扉を見る事が出来たのだ。
そのおかげで俺たちも見えるようになった。

人は人と共存しなければ生きていけない。
今、1人でも不自由なく生きていけてると思えているのは過去の偉人の賜物である。

俺にとってのベジタリアンは重要な扉だった。
互いに感銘を受け合える人間と出会える事の素晴らしさを知った。
そして、俺は今まさにそう思える人間に出会えている。
それ自体が奇跡だ!
この限りなく無数に存在する人間たち。
人が一生のうちに出会える人間の数など多くても3桁止まりだろう。
今まで出会えた人と憎みながら別れる事もあるだろうし何も感じずに別れることもある。
大半が何も無く別れると思っている。
今後の自分の人生にとって重要な人物や大事な人が生活している地域や名前がわかるのなら、きっと全国の人間は一斉に動き出すだろう。
出会いは1つの縁である。
名コーチと名プレイヤーの出会いは必ずしも起こる訳ではない。
この世には世界一の実力を持ちながら、平凡に暮らしている人も少なくないだろう。
出会いというのはそれだけ人生において重要な出来事だと思う。

俺はそのうちの1つの出会いが出来たと確信出来る。
その出会いも奇跡的な展開だった。
1つの歯車が噛み合わないだけで出会う事はなかった。
出会えて本当にありがとう。

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comments

こんにちは。
ヤギのアトム君のエントリーからお邪魔しました。アトム君の角を折った人はその10倍の痛みを味わえばいいと思います。器物損害?命あるものにそのような名前の法律しか適用できないなんて、日本はひどい国だと思います。

そしてその延長で他のエントリーを読ませていただいているうちに、確かにアトム君のことで自分が怒るなら、お肉を食べるのをやめるべきだと思いました。

私も著者さんのように動物が好きで、大型犬を飼っています。大学時代にファーができる工程の映像をみて以来、本物のファーは買わないことを実行しています。その映像は脳裏に焼きついていて、今でも鮮明に思い出せますし、涙が出ます。

またここ数年は、食肉に関しても少し疑問を抱きながらもお肉が好きなので甘えてお肉を食べています。

でもこのブログをみて、アトム君がかわいそうと思いながらお肉を食べていたら、この罪悪感は永遠に続くだろうし、自分も偽善者のままだと確信しました。

そして、ファーを買わないという線引きを、お肉を食べないという線までもっていく必要があると思いました。

実行したいと思います。

bibi:2010/04/07(水) 00:14:35 | URL | [編集]

どうも、bibiさん。

実際、何が正しくて行うべきか知っているにも関わらず、自分の欲望を抑えられず見て見ぬ振りをしている人が多いなか、大変素晴らしいと思います。
「正義」を貫く事はとても難しいものですが、逃げずに向かう勇気がある人が増えれば、この国もまた変わりますね^^
bibiさんのような人からのコメントを貰うととても嬉しいです。
記事を書いて良かったと心から思いました。

管理人:2010/04/07(水) 01:03:48 | URL | [編集]

お返事ありがとうございました。

最新のエントリーみました。
このブログをみつけたばかりなのに終わってしまうのはさびしいです。でも削除されないなら私のように偶然みつけて変わる人もいるかもしれないので、ぜひ残しておいてほしいです。

ちなみに、前回の書き込みから「魚介類は時々食べるベジタリアン」に移行中です。移行中というのは、すでに家にあるお肉を消費しているということです。捨てても食べてもすでに殺された動物にとっては同じことだとは思いますが、なんとなく捨てる気になれないので今までごめんねと思いながら頂いています。お肉がなくなったら、完全に新しい食生活になります。

ひとつ思ったのは、あれだけお肉が好きだったのに、決心していざやめると意外となんでもないんだな、ってことです。以前食について考えたことがあった時期は「食文化が世界一といえるほど豊かな日本で、すき焼きとか焼肉とかとんかつとかブランド牛とか色々あるのに、お肉を食べないなんてあまりにも不便すぎる。生活にかなり支障をきたす」と考え、なんとか自分を納得させていました。
(その頃は実態をちゃんと知ることもない故の安易な考えでした)

でも今回このブログとの出会いを機にやめてからは「じゃあおいしいベジタリアンレシピを自分で作ってみよう」とか、残酷なビジネスに貢献しない以外にもプラスだらけです。たとえこういったプラスがなくてもモラルの点からお肉はやめますが、あんなに好きだったあれやこれ、全部にまったく未練がありません。変化って不思議なものですね。

bibi:2010/04/13(火) 18:28:32 | URL | [編集]

このコメントは管理人のみ閲覧できます

-:2010/04/13(火) 18:44:34 | | [編集]

既に買ってしまった死肉は食べてあげてください。
捨ててしまったら、それこそ無駄死にですからね。
自分は外食する時に必ず肉が入っているか聞くんですが、たまにそれでも入っていたりする事があります。
肉食人間と共にした場合はあげてしまいますが、ベジ同士で食べにいくと残してしまいます。
その時、「食べられるわけないだろ!」と怒りの念がありますが、実際残してしまった肉は処分されると思うと「俺は矛盾な事をしているのか」と気付き、ひどくショックを受けた事があります。
仕方なく肉が紛れ込んだ場合、食べてあげるのがせめてもの償いのではないだろうか、と強く苦悩しています。
肉を断って以来、肉を食べるとお腹が緩くなりやすい傾向に体質が変わったのもあり、根本的に肉が食べられないような体に移行しているような気がします。

未練についてですが、そうですね。
食べる習慣から解き放たれると中毒性が体から抜けるのか味覚が段々薄らいでいき魅力を忘れてしまうのかわかりませんが、そういう事はありますね。
自分はチョコレートが好きなので、敢えてそういう所にいかない、買わないと考えています。
すると、一度食べると強い中毒性があってか拒絶するのに強い信念が求められますが、「見ない」事で購入する機会を失い、結局は買えず、食べないようになります。
すると急激に興味を失い、見ても何の興味も示さなくなります。
あとはそういう所を通っても何とも思わなくなりますね。
食べられない環境を作りこみ、「忘れる」行為が自我の抑制に大きく貢献してくれます。
脳を制すれば、恐らく全ての制御が可能なんだと感じられた出来事です。

管理人:2010/04/15(木) 02:21:37 | URL | [編集]

こんにちは。

>仕方なく肉が紛れ込んだ場合、食べてあげるのがせめてもの償いのではないだろうか、と強く苦悩しています。

これについてですが、私も最初は当たり前のように「食べないと無駄死にしたことになる」と思いましたが、視点を変えてみたら、次のような考え方もできるのかなとも思いました。

人は家畜を食べるため(+その他用途のため)に殺しますが、家畜にしてみれば、食べられたいと思って死んだわけではないですよね。一生を全うしたかったのに殺されてしまった。食べてほしいなんて思ってないわけです。「食べるため」というのはあくまでも人間の視点です。だから「食べないと無駄死にさせたことになる、食べてあげないと…」という考えも、人間の見方なのかな、とも思えます。

仮に、ある日、愛犬がだれかにさらわれてしまって、その犯人は食べようと思って愛犬を殺したとしますよね。
殺したあと、
①食べた
②食欲が失せたので捨てた
③殺した罪悪感に悩まされて、後悔しながら埋葬した

私が愛犬の飼い主だったとしたらもちろん愛犬が殺された時点でその後の行為を問わずそいつを殺したいと思いますが、上で一番ひどいと感じてしまうのは②です。要は、何をしたかよりもその理由(心情)が関係していると思いますね。

だから、著者さんが本当は殺されてほしくなかった動物の肉が、自分の食事に紛れこんだ場合、食べたほうがいいのか、残したほうがいいのか、、、悩みどころだと思いますが、私は死んだ動物が本当は生きたかった、あくまでも人の都合で食用に殺された、ということを考えると、食べるという行為で償う必要はないんじゃないかと思います。

ひとつの考え方として、書いてみました。

bibi:2010/04/19(月) 20:57:28 | URL | [編集]

すみません、さっきの補足ですが、
② ① ③の順でひどいと思います。
結局捨てるも埋葬するも食べずに放置していることに変わりはないのですが、その人の姿勢が一番ましに思えるのが③なので、心情が大事なのではないか、という考えにいたったのです、、、

bibi:2010/04/19(月) 21:03:59 | URL | [編集]

返事できずにすみませんでした。
返事を書こうと思っていたのですが、色々と考えていて結局書けませんでした。
まだ見ていたら変事下さい。
その時また返事したいと思います。

管理者:2010/08/16(月) 18:02:20 | URL | [編集]

こんにちは!

久しぶりに訪問してみました。
まだ数ヶ月ですが、その後もお肉を食べないで暮らしています。もう大丈夫だと思います。

今後の課題は、乳製品もやめること(今は中途半端です)、
マクロビの料理の腕をあげて、いずれは魚介類もやめてビーガンになること、
動物のためにアクティブに行動すること
です。
また、できれば将来的に会社を立ち上げて、ビジネスを通してanimal-friendlyな商品を提供したり、本当の意味でのecoの意識を発信できるような、素敵な会社にしたいと思っています。

改めて、きっかけを作ってくださった管理者さんにお礼を言います。
私も、誰かが考えるきっかけになれればいいなと思います。

bibi:2010/09/08(水) 23:06:01 | URL | [編集]

こんばんは、bibiさん。
返事遅れました。

おぉ、大丈夫でしたか、それは良かったですね!
ビジネス上手くいくと良いですね^^
自分もブログで書きましたけど、一般の人たちは良質よりも安価を望むので、強い葛藤に苦しむことは意識しておいた方がいいと思います。
おせっかいかも知れませんが^^;
何をするにもそうですが、本当の清き行動というのはなぜか損をする役回りです。
強い信念と心強く信頼することができる仲間、初心を忘れない未来の道を照らす方位磁針を。
ご活躍、影ながらお祈りします。

管理人:2010/10/07(木) 22:42:08 | URL | [編集]

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