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    2009

12.08

「信用する」という言葉の意味

人が相手を「信じたい」ときに使う言葉、「信用する」について疑問がある。

FXや株などのように資金運用をしていると気付く事がある。
それは、「信じる」という言葉だ。
「誰々が言ったから信じる」や「○○さんだから信用する」と言う事をよく耳にする。
資金運用などのブログで、不確定要素について「信じる」と度々使っているのを目にする。
俺はこれらの事象についてとても強い違和感を感じずにはいられなかった。

なぜ、いとも簡単に信用出来るのか?

そう思った。
信用とは本来、重要であり非常に重い言葉なのだ。
色々と見たり聞いたりしていて、「信用出来る」のではなく「そう信じたい」、「大丈夫だろう」という楽観的期待値が含まれている事が多いのではないか?と思うようになった。
俺が思う「信用」とは、長年その人間を見続けてきて言動共に想像出来る範疇でその行動を容認でき、例え裏切られたとしても我慢出来る場合に使うものだと思っている。
大義ではそれ以外を信用とは使いたくない。
社会では人間的要素を排除するため、「信用」は過去の実績の結果であり、裏切られた場合に損を被らないように「担保」や「保証人」を要求する事が一般的だ。
だが、人間関係においてそれは非道徳的なとらえ方をされる。
対個人においては「信用」の意味する言葉の重さを非常に痛感するのだ。
つまり、泣き寝入りせざるを得ない状況が発生しやすい。
信用という言葉は、信用する側が使う言葉であるにも関わらず、信用される側が「信用してほしい」や「信用出来ないの?」と使う事がよくある。
そういう人間が吐き出す「信用」はその場凌ぎの軽いものが非常に多く、またその信頼度は非常に低い。
これは経験論だ。
その時さえ良ければあとはどうでも良いと考える人はよくこの言葉を使いたがる。
要は、自分さえ良ければいいという自己中な人間だ。
「信用」という言葉の重さを知っている人間は絶対に自分からこの言葉を口にすることはない。
なぜなら、それは相手に押し付けるものではない事を知っているからだ。

「信用」する側のあるべき姿として以下の内容を理解しなくてはならない。
・裏切られる事を覚悟すること
・その際のリスクマネジメントをシッカリすること
・全ては自己責任とすること

つまり、信用する場合は裏切られても耐えられる程度の事柄のみとする事が良いと思う。
俺は25歳位の時に55万円を貸した事があるが、返済予定とはまるで異なる行動を取られた事があった。
毎月返すと言っていたし返済期間も長めに1年にしてあげたのにも関わらず返ってきたのが3年後だった。
この時、「貸した金は返ってこないと思った方が良いよ」と言われた事があり、友達でもそういう経験をした人が何人かいた。
こちらが良心的な行動をしようが相手には関係ない事が多く、そういう人間はその時の恩は「忘れている」ようだ。
そして、次の危機に四苦八苦していて「そんなもん過去のことでしょ」とでも言うかのような態度を平気でする人がいる。
リスクマネジメント不足と無努力行動が自分の立場の危機を生み出しているのにそういう人間は気付く所かそういった努力を非常に嫌う傾向が強い。
だからそういった危機を無限に生み出しているのだが・・・
しかもそれだけ待たせたくせに気持ちとしての利息も何もない。
唖然としたね・・・
俺も親と友達に一度ずつ金を借りた事はあるが、必ず利息を払っていた。
まだ金が無い頃に25万円程度を3ヶ月借りて2.5万円多く払ったりって感じだった。
感謝の意と自分への戒めとしてだ。
こんなクズのような行為を慣れてはいけないと思ったし、それが本来あるべき姿だと思った。
もう二度と借りる事も貸すこともないと思っている。
借りに来ても「仲間とは金のやりとりはしない」と言うようにして、しつこい場合は「街金とかに行けば?」と言う事にしている。
一般人や友達だと取り立ても甘く馴れ合いや甘えが生じてだらしなくなるからだ。
人に何かをしてもらうならそれに見合った行動をする義務があると思うしその逆も同じ。

金融関連の動画を見ていると、一般投資家などがやはり「○○さんを信じています」と言うシーンがあった。
バッカじゃねーのか?と人格を疑ったものだ。
俺的には「信じるかどうかは貴方の勝手だけど裏切られてからギャーギャー騒ぐなよな?」と思った。
それによって資金の半分以上を失っても仕方ないと思えないなら軽々しく「信用」という言葉をクチにするなと強く感じる。
なぜなら、大の大人がガキでもないのにアレやれコレやれと言われるがままに行動するなと言いたいからだ。
大人ならば自分の判断で行動出来る訳だし、長い経験からどうすれば良いかはわかっているからだ。

5階にいて、「その窓から飛び降りたら口座に1000万円振り込まれるよ」って言われたら飛び降りますか?

するはずがないだろう。
なぜなら、「結果がわかっている」からだ。

例えば、著名なアナリストが「アメリカ経済は家を担保とした借金をして物を買いまくるバブルがあったが、今では内需が非常に低いからこれからアメリカは暗黒時代に突入し、米ドルが80円を割り、今後の見通しが立っていないからこの一ヶ月から一気に円高が加速する」と言っていたら、どうするか?

それを参考情報と捉えて自分で判断する人もいれば、信用してその通りにする人もいるだろう。
ここで問題なのが後者の場合だ。
これは「自分の思考能力では判断出来ないから凄いだろうと思う人の意見に楽観的期待値を含ませた」だけにすぎない。
それでいて裏切られたら発狂しだすとしたら目も当てられない。
自分ではわからないのに「勝手にそうあって欲しい」と思って自分で判断した責任を負った行動をとり、良ければ「ニンマリするか自慢するか」で悪ければ「散々批判する」というのは非常に惨めである。
強く勧められたり強要されたりと、どんな理由であれ「最後に判断を下すのは自分」である事にかわりはない。
俺は「マンションなどの連帯保証人」になる行為が信じられない。
連帯保証人というのは俺が「借りた」または「買った」と同意のリスクを負っているにも関わらず、一銭の得もしないという理解不可能な状況。
まだ、自分の子供なら納得出来るかも知れないが、それ以外の人間のために責務を負うのはバカげてる。
ちゃんと払うかどうかを天(雇用と景気)に任せて凶と出れば数千万円の借金を肩代わりとか意味わからん。
残ったマンションだって中古物件となり価値もダダ下がりで、今のような大不況ではもはや資産価値は半分程度かどうかだろう。
まぁ、そのリスクを商品化して肩代わりシステムがサブプライムローンなのだが・・・

「信用する」という事について、今一度考え直してみるのも良いと思う。
悪いまたは最悪な結果が出て騒ぎ出す位ならば、「信用するな」と言っておきたい。


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comments

何事も自己責任、ですよね。
頭の中で整理されているような気がすることでも
こうして文字にされていると何かストンと落ちた
ような気持ちになれました。

同意見ゆえあなたを「信用」したくなってしまいました。
(^^;

N.Y.:2009/12/08(火) 12:48:42 | URL | [編集]

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