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    2010

02.21

優しさが抑止力

治安悪化を招かないためどういった措置をとるべきだろうか。
俺は刑罰を重くする事が良いと思っていた。
例えば、最低限でも「目には目を」の3倍の処罰などだ。
つまり、犯人が行った行為を犯人に同じ事を3倍にするのは最低限行うというものだ。
そうすれば、殺人なりにしてももっと思いやりをもって(というか自分の身を案じて)犯行に及ぶと思う。
無残な虐殺を行った場合、その刑罰はこの世のものとは思えないだろう。

しかし、普通の人であれば褒められたり敬われたりすると自分の立場を理解し、酷い行為を行いづらくなる。
酷い行為に対して「そんな事するとは考えられない。何があったの?どうしちゃったの?」と涙を流して崩れ落ちれば少なからず罪悪感を感じて深く反省する可能性もあるが、「なぜそんな事をしたんだ!バカじゃないのか!何を考えているんだ・・・」などの批判をされると忍耐許容量を超えた途端に開き直るようになる。
一度こうなってしまうと逆ギレすれば凌げると理解して平気で酷い行為をし、逆ギレをするようになる。
地域的に迷惑問題で有名な人たちを見ると完全に開き直っているのがわかる。
その状態が長く続くと自分と世間との境界を創り出し、非現実的または気にするだけの意識を喪失する傾向にある。
異性に意識を持たなくなったり(身なりに気をつけなくなるなど)、周りに興味を示さなくなる人もこれに近いものがある。
所謂、人の意見に聞く耳を持たない頑固者といった状態だ。
そういう人達を生み出すのはやはり個人の能力が欠けている点は譲れないが、周りの人間の対応も非常に大きな要因であると感じる。
そこで、優しく接しようとアドバイスを出しても「そんなの構ってられない」、「なぜ敢えて目線を下げて気を遣わないといけないのか」など言いたい事もあるだろう。
俺もそう思う。
努力した者が報われずに無努力者に合わせるというのは気分が良いものではない。
しかし、だからと言って単純に弱肉強食のようなあるがままの状態にすると、世の中が荒んでいくのではないかと感じたのだ。
昔の日本が治安が良い理由に、近所同士の意思の疎通が出来ていて相手を立てて自分を下げるといった分化があるからだ。
困った人がいれば助けてあげて年上が年下を教育し、年下は年上を敬い、争いが起きそうになれば知らない人でも周りが必ず止めに入り親身に話し合い、良い事と悪い事の良識を備えて対応する。
1日に最低でも20回は誰でも良いから相手を褒め合う(回りまわって必ず自分も褒めてもらえる)。
そういう昔の日本文化を取り戻せば、人々の心は大きく変わるだろうと思う。
小さな地域の中でも良いのだがそれぞれの人に役職を与え、その専門範囲を取り締まるようにすると明らかに意識改革が出来ると思う。
例えば、「子供教育の谷さん」とか「なだめの虎さん」のようにこれは自分が向いていると思える事を専門で行うようにする。
これは個人の差別化ではなく、意識改革が目的だから全員に役職をつけるべきなので役職が被っていてもOKだと思う。
そうやって自分にはコレゾと言った地位があると強く意識させる事で自分の行動などについても考えるだろうし、その社会の中における治安安定にも大きく貢献する。
当然起こるだろう職権乱用(?)に対しても監視する役職はある。
しかし、現代では完全な個人単位で考えられ、それぞれの社会的行動範囲や人間関係範囲が非常に小さい。
非常に孤独が目立ち、自分の立場を守るために見栄を張り、虚栄という名の武装防具で互いに牽制する。
僅かな接触に強い怒りや嫉妬を感じ人間関係が非常に不安定だ。
他人とは深く関わらず、誰かが襲われていても見て見ぬ振り、人の手柄も自分の手柄、我が身さえ良ければどうでもいいという考えが当たり前。
そんな状態は極めて危険だ。

霊長類の中で最も平和的なボノボと、非常に攻撃的な猛獣であるチンパンジーとでは文化が違う。
ボノボはSEXをお互いの平和維持のコミュニケーション手段としている一方、チンパンジーはメスの発情時期やSEXへの考え方が非常に人間に近い。
ボノボはSEXを日常的におおっぴらに行う事で知られている。
それは子供がいようが大衆の前だろうがお構いなしだ。
むしろ、子供も興奮して擬似参加するようだ。
だが、人間やチンパンジーはSEXは恥ずかしいもので誰にも見られずコッソリとするものという否定的な捉え方をしている。
それがストレスとして蓄積して凶暴化するのではないかと考えられている。
ボノボの社会では殺しは確認されていないというが、チンパンジーの社会では子殺しや対抗勢力の抹殺は一般的で同種でありながら殺して食べてしまう事はそう珍しいものではない。
まさに人間に近いと言える。
ボノボは遺伝的に性病が蔓延する事がないため、この文化を維持できているのだろう。
YOUTUBEで探してみると驚くほど映像が残っている。
これは愛と言うよりは、儀式のような感じに見受けられた。
時間で言うと僅か数秒程度だ。
また、人間以外で唯一正常位をするという珍しい種族だ。
女子の立場はよく分からないが、男の立場から考えると怒っていても射精してしまえばある種の虚無感や血圧の低下、精神の落ち着きによってそれ以上爆発する事態には発展しないだろうとは思うが、サルの社会ほど単純ではないので「落ち着いてもう一度問題について冷静に話し合う」という辺りが限界だろうとは思う。
やはり、より複雑な人間社会においては、「自分の非を認め謝罪する謙虚さ」が必要になってくるだろう。
余程な性格でない限り、完全に降参(?)した相手を更に徹底的に屍に鞭を打つ行為はないだろうし、怒りの爆発よりも問題の解決に着目した方が賢いとわかっている。
大きな問題になるのは互いが引かないからだ。

褒め合う行為についてもう1つのメリットがある。
相手を褒めるというのは非常に清々しく気持ちが良いものだ。
それが長い期間行われる事で性格が良くなるだろうと思える。
変に勘ぐって被害妄想に襲われ人間不信になる位なら徹底的に相手を褒めて相手と打ち解ける手もある。
北風と太陽だ。
力で圧倒し屈服させるには非常に大きなエネルギーが求められる上に相手から絶対に憎まれるようになる。
これは疲れるだけだ。
それよりも相手を褒めて敬い、お互いに楽しい気分で会話をする方が大きなメリットがある。
ただ、日本人は議論や討論という行為をほとんど行わないので自分の意見を話し合うと相手から攻撃されていると感じる事が多いようだ。
議論や討論は人間として大きく成長出来る大事な行為なので、これを喧嘩と勘違いする人は非常に勿体無い。
大抵、こういった事をすると自分の意見を相手に捻じ込み納得させる事だけに終始努力し、会話の内容の本質を理解しようとしないのだ。
自分の意見というのはあくまで「現時点での自分の考え」なだけで、まさかそれが死ぬまで続くはずがない。
となると、どこかのタイミングで考えの切り替えや変化が起きる訳だ。
その時、自分の考えよりももっと良い考えがあったんだと気付いて「現時点での自分の考え」を変えた事になる。
こういう成長は一般的に非常に長い年月をかけて起こる事が多い。
だが、議論や討論はそういう成長をあっという間に実現してくれるのだ。
大事なのは「現時点での自分の考え」に固執しないことだ。
頭の良い人は自分の過ちをすぐに気付き、その場で考えを修正する事が出来る。
俺はそういう人間を初めて見たとき、物凄い激震が走った事を今でも憶えている。
感動にも近いものを感じ、「凄い」と思った。
それを見たとき、俺もこうあるべきだと肝に銘じた。
22歳前後だったと思う。
その時から自分や新しい情報について客観的・多角的に考え、何が正しいのか考えるようになった。
そもそも意見に耳をもたない人間は、相手を見下していてバカにしているのではないかと思える。
相手を見下した瞬間、もはや対等ではなく今まで言った日本文化的な行為が全て成り立たなくなる。
つまり、この「見下す」行為が最も悪ではないかと思える。
一度形成してしまった人格を直すのには尋常じゃない努力が必要だが、根本的には不可能だと思う。
つまり、人格形成する年代の子たちに今から徹底的にこういった教育をしてもらいたいと思う。
だが、親が「バカな教師の言う事など聞く必要はない」などと逆方向の教育を施しているため希望は極めて薄い。
最終的に自分が行っている事は自分に返って来るので自分たちが老後、自ら子に施した教育によって形成された「見下す」人格がどういう結果を招くか理解できていないんだろう。
老後、人の手を借りないと生きていけない時、子供に助けを求めたら

「ウルセーよ、ジジィ!そんな汚ねーもんできるかよ!それより早く金出せ!」

と見下されて人生を終えるのも良いのかもしれない。
自分が願う事と行っている事が本当に伴っているかもう一度考えてみたい。


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