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    2010

04.02

「結婚」というシステムを変えよう

最近「結婚」というシステムに限りが見えてきているのではないか、と思うようになった。
その理由は、「結婚」という呪縛に苦しんでいる人をよく見るからだ。

そもそもなぜ結婚をする必要があるのか、という点について考えてみた。
まず、国家的観点からすると「国が繁栄し続けるには優良な国民が必要」であるからだ。
これは絶対に避けては通れないだろう。
次に、個人的観点から考えてみる。
生物として「種の保存」という鉄則があるが同種が多過ぎると遺伝子単位で間引きをすると言われる位、大多数の同種がいれば、それはもはや大義名分でしかない。
好きな人が別れようとすると妊娠確率が高まったりとかそういう変化は現れるものの個人差が大いに関係してきそうだ。
人間的観測であれば、女子なら「結婚できない=負け犬」というコンプレックスを抱かないため、男子なら独占欲や社会的地位のためだろうか。
新婚ならまだ恋人気分もあり楽しさがあるだろうが、15~20年以上経つなどすると状況は一変している事が多いようだ。

結婚によって引き起こされるデメリット
・見た目や人間性の低下
・閉ざされた独特な世界の形成
・家族内の人間関係の崩壊
・経済面の余裕が無くなり自己中的な人格の形成

テレビから簡単に得られる常識とされる情報で結婚がもたらす悲しき現実に「オヤジが臭い・汚い」、「犬より地位が低い」、「不倫問題」、「教育不足」がある。
父親の威厳の無さには驚きを隠せないのだが、そもそもは「帰宅が遅い上に酔っていて、日々家族にサービスもなく大切にもしない」という理由が積み重なっての事なんだと想像出来るものの、こういった現実を許容しながら生きていく事に幸せがあるのだろうか?と疑問に思ってしまう。

妻からの視点では、「結婚前から豹変した容姿と態度への不満が溜まり、お腹を痛めてまで生んだ我が子が最も愛すべき存在になり、それが唯一の目的であり結果だと考えてしまう事による夫軽視行動」なのだろう。
夫からの視点では、「結婚前から豹変した容姿に異性としての興味を失い、経済面で完全に依存した存在であるため自分よりも身分が下だと思い、食わせてやってる感があるのに卑下にしてくる態度に怒りを感じて他の女を興味対象とする行動」を取るのだろう。

お互いがどう思っているかGoogle検索で見てみよう。
「妻 」に対しての検索が多い順
tuma.png

「夫 」に対しての検索が多い順
otto.png

「旦那 」に対しての検索が多い順
dannna.png

夫が検索する妻へのキーワードで悪意のあるものは一行もない。
それよりも妻の状態について調べようとしている事が読み取れる。
一方、妻が検索する夫へのキーワードのほとんどは悪意に満ち溢れている事が分かる。
家庭というコミュニティの存在意義に疑問を抱かずにはいられない。
子供に対してはどうだろうか。

「娘 」に対しての検索が多い順
musume.png

「息子 」に対しての検索が多い順
musuko.png

「息子」に対しての検索が多い順
musuko2.png

「息子」に対しての検索の3行目については意味がわからないが、全体的に愛情が感じる検索もあったりと問題があるような感じではなかった。
では、親に対してはどうなのだろうか?

「親 」に対しての検索が多い順
oya.png

成人後の親に対する検索が多いとは思うのだが、上位3位は悲惨の一言であろう。
20年か、それ以上の長い年月と莫大な費用を投じたにも関わらずこの結果は悲惨としか言いようがない。
ちなみに、付き合っているレベルだとどうだろうか。

「彼 」に対しての検索が多い順
kare.png

「彼女 」に対しての検索が多い順
kanojo.png

日本人の彼氏・彼女の関係がわかってしまうような感じだが、全体的に「プレゼント」が多い点に幻滅する。
要は金なのか?
もっと内面についての検索はないのだろうか。


ほとんどの人間が「結婚」は「付き合う延長」だと認識しているだろう。
そのまま好きな人と生活していくものだ、と簡単に考えていると感じる事が多々ある。
俺はもはや、この「結婚」というシステムが破綻してるのではないか、と感じて仕方ない。

無駄に不満を抱いて生きていく必要はコレっぽっちもない

というのが、俺の考え方だ。
その葛藤や努力、試練は必要であり超えなくてはならない壁なら、迷わず突き進めば良い。
だが、“無駄”なストレスを感じる必要は全くない。
未来に希望があるなら、先に光があるなら、好転的ビジョンが見えているならそれは良いだろう。
しかし「マグマを鎮火させようとコップ一杯の水を片手に山を登り、火口に水を投げ入れ下山してまた水を汲む」行為に意味があるだろうか?
100年後に達成出来るならば、それに意味はあるだろうが100万年後では一個人の人生において、それは意味はないと断言出来る。
人間の細胞は有限であり、その寿命は極めて有限だ。
そして、良い状態を保てる細胞寿命は極めて短い。
それを成果が望めないにも関わらず自分で縮める必要はコレっぽっちもないと思うのだ。
相性が良かったり、相手を尊重できたりと「思いやりの精神」が根付いている同士が結ばれれば、死にゆくその日まで一緒に居られて良かったと感じる事が出来るだろう。
しかし、現実的にそれはごく一部の限られた人間だけだ。
そこで思ったのがこういうシステムだ。

子供は育児のプロ集団や育児資格を持つ人間が育てていけば良くて、結婚という法的束縛力がある形式を廃止し、彼氏・彼女の関係を続けていけば良い


これで問題だと思う点はなんだろうか?
唯一感じる点は、「肉親からの愛情を得られない」だと思う。
だが、現状でも愛情を得られない例はいくらでもある。
親が嫌いだという人も多く見てきた。
その一方、親が大好きという恵まれた人間もまたいた事は事実だ。
その好きという意味が「放任主義」で楽だからか「シッカリした教育」で良い人間に育ててくれたという有り難味かはわからない。
しかし、世代を重ねれば重ねるほどに愚民製造機と化した今の核家族にマトモな事は望めないだろう。
次点では、「育児担当者がどの息のかかった組織の人間か」という点か。
育てる者が国の人間ならば国に利用価値があるように、暴力団の息がかかっていれば兵隊として、宗教の息のかかったものは従順な信者を作るように教育してしまう可能性がある。
しっかりとした管理が必要だが、理想的な育児者による教育を施す事によって優秀な国民に育ちやすくなるだろう。
親と子供を結ぶものとしての親権、週一の面会と要望書、成人後の自由な活動が認められる。
育児管理期間中は、基本的に寮生活だが完全に個人の自由は保障され、適切な指導者による教育を受けているものの問題がある人物は速やかに隔離され反省期間後に釈放される。
子供には金銭を与える行為は一切なく、寮内で働き自分で金銭を得るようにし、その金銭の使い方は勿論、服装や個性面に関しては完全に自由である。
育児者がタッチ出来るのは、教育面と躾、思いやりを持つ心などの人道的人間に育てる方面だけだ。
それ以上の事を行った場合、免許剥奪と多額な罰金刑を受ける。
子供に育児担当者の権限の密告をした者は無期懲役で、インターネットは閲覧のみで書き込みは一切不可能。
基本的に養育費用は全て税金から捻出するようにして、親の負担はゼロ。
親権はあるから成人後の子供の活躍の恩恵を親が受けられるようにする。
そうすれば、親はより多くの子供を産む事によって自分が壮年以降の生活の助けが求められる可能性に期待出来る。
そして、子供の精神的・知能的な能力を一定水準に達するように出来る。
子供を産んでもお互いに合わなければ別な人間との間に子供を設けるのもまた認可され、子供の親権は放棄しない限り母親が65%、父親が35%は保持出来るが、子供が親に対して必ずしも恩返しする義務も無い。
あとは成人になってからの当人同士の関係次第だ。
(親権は最後の相手との子供だけにするのでもいいかも。3人の人間の間に子供を作った場合、1人目と2人目の親権については母親は30%まで保持、父親に関しては完全に消失)
子供の成果を得る権利があるのは父親か母親のみで、それ以降の続柄は一切関係ない。

伴侶間には法的束縛力は一切ないので、常に対等であり付くのも離れるのも自由だ。
互いに仕事を持ち、完全に独立して自分の生活は自分で確保出来るようにする。
今の相手と別れた場合、次の相手が見つかるかどうかは現状の自分の身なりや人間性、見た目などの努力次第に委ねられる。
常に自分を磨く事を忘れてはならない。
養育費など子供にかかる費用が浮くので老後も自力で何とか出来るだろう。
多分、ここで「倫理的な事が・・・」と感じるのは今までの常識があるからだろうが、そもそも拘束力があるのが不自然なのだ。

国としては国民が増える一方の上、民度のレベルの底上げ出来、国民の資産にも余裕が出来て消費力が向上する。
子供としては虐待や酷い扱いを受けず、必要な教育(結果的に成人後の身の保障を保てる)と一切の自由が保障出来る。
親としては子供を産む時のリスクは出産する母親のみで、基本的に生き方は最後まで自由だ。
育児に関して国が関わっていそうで社会主義っぽいが、国が関係しているのは養育費と寮のみだ。
それ以外の検閲は一切認められない。

こういう考えは常識外なのですぐに受け入れられないとは思うが、誰もが笑えるシステムを作らないと負の歴史が長く続く事になる。
現状の「結婚」は、無知な人間同士が僅かな時間で結びつき、勉強もしない未熟な知識で育児を行うので長男や長女が最も犠牲を払い、教育水準や子供のレベルは家庭単位で完全に精度がバラつき、過保護という甘やかしから低品質の子供が成人となる。
あとはそれぞれの努力次第で、また僅かな時間で結びつき「結婚」をする・・・というものの繰り返しだ。
この現状の綱渡りのような流れが非常に不安定だとしか思えない。
もしこの制度が導入されたら、多くの人間に笑顔が絶えないだろうと想像出来る。
大きな責任から解放され、資産も多く残るので購買意欲が高まるだろう。
養育期間の税金の費用が莫大な額になる点が最も大変なのだが、天下りなどを全て撤廃して無駄を削減し、ある程度国民からの徴収と消費税値上げで何とか対応出来るんじゃないだろうか。
年間でいくらかかるんだろうか。
20~30兆円位になると相当厳しいが将来性はある。
コストをかけずに強国を作る事は事実上、不可能だ。
痛みを伴うのは仕方のない事だ。

移行期間が最も大変だろう。
現状の「結婚」を元に結婚した場合、お互いが同意しない限りは「結婚」の効力はあるとするのかな。
現在、未婚の人は強制的に「結婚」の法律無効化で、子供に関しては制度導入時の0~2歳時から始めるのが理想かな。
だけど、普通に考えて育ててしまっていると情がわいて手放せないだろうな。
やっぱり0歳時が良いのかも。
また、寮内の環境保護のため、色々な予備知識がある人間の立ち入り禁止と児童拒否は徹底した方が良いのか。


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